もしも新社会人が孔子の「論語」を読んだら

こんにちは

@tokunoribenです。


最近ドラッカー流行ってますよね。

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーのマネジメントを読んだら、とかいうやつです。



個人的には女子高生が血気盛んな男子高校生に人身御神となってインセンティブ付与して生産能力でも高めるおはなしなのかな、と胸を高鳴らせていたのですがまったく違った内容だったのでがっかりです。


それにしてもドラッカー生誕100年という節目をねらって、作者の岩崎さんはうまいこと波に乗りましたね。本屋にいくとこのブームにあやかって二匹目のドジョウを狙おうと、数多くの類似本が出回ってるということは皆様重々ご存知だと思います。


ドラッカーがきたなら次は孔子の論語だろ、ということで、僕は最近論語にハマっております。


日々、勉強に励むべく、新生活が始まって毎日のように論語から孔子様のありがたいお言葉を抜粋してつぶやいております。

その結果友人諸氏から「論語しかつぶやくなったけど生きてる?」などと身の上を心配される論語botの域まで到達いたしました。


まぁ、論語に興味もったのはとある経営者に洗脳されたからなんですけどね。


しかしドラッカーがきたなら次は孔子だろ、と密かにブームを期待しておったりするわけです。


そこで、今日は皆様にブームにあやかって、

もしも新社会人が孔子の論語を読んだら、ということで

僕が論語を学んで見えてきたことをまとめておきたいと思います。




・論語はリア充のための宗教

みなさんは世界3大聖人、って知ってますか?


正解は、ブッダ、イエス・キリスト、孔子です。


こうやって見ると、まぁ論語もある種の宗教に近いものなんだな、ということに気がつくと思います。というか宗教と定義しましょう。

しかしながら、実はそれぞれの宗教はそもそも成り立ちの性質が違います。

わかりやすく説明しましょう。


仏教は簡単にいうと修行により、来生の幸福を目指す宗教です。

現代風にいうと
非リア「生まれ変わったら・・・リア充になるんだ・・・」
という感じでしょうか。


キリスト教は隣人を許す、という慈愛を目指す宗教です。

現代風にいうと
非リア「俺の片思いの相手とヤッたって…? ううん、幸せになってよ…」
という感じですかね。



論語はより良い治世を目指した、帝王のための宗教です。

だから、現代風にいうと

リア充「あんまりリア充ぶってたら、周りの嫉妬がウゼーから謙虚に振舞う方法学ばなきゃwww」


というスタンスで始まった宗教なわけです。


だから、書いてある内容も他の宗教みたいな、左の頬をぶたれたら右の頬を差し出せとかドMみたいなことってあんま書いてなくって、いかに自分スゲー、でも謙虚な俺ってさらにカッケー、こうしたらもっとカッケーみたいなことが延々と書いてあるわけです。



皆もリア充なりたいですよね? 非リアの戯言で傷の舐めあいとかしたくないですよね?

だったらリア充の宗教学びましょうよ。リア充の立ち振る舞い学びましょうよ。


それなら論語です。無宗教で特に拠り所がないなら論語を選択しましょう。

きっとあなたの自信になってくれるはずです。





・論語を学んだら神になれる


下から慕われて嫌な人、というのはまずいないと思います。

とはいっても人の上に立つというのは難しいもので、誰しもあれこれと考えを張り巡らせてしまうもの。


そこで論語の出番です。


ゆとり世代全盛期の今日この頃、仕事ができない新人や後輩に向かってあれこれと説教をかましても、うぜーなこのオヤジ、と一蹴されてしまうのがオチ。

そこで論語の出番です。

当たり前のことも論語を絡めて教訓じみて説教をすればそれっぽくなるから不思議。



新人や後輩を怒るときには論語を随所にちりばめて

「お前は巧言令色鮮なし仁だな!」 とか
「速やかならん事を欲すれば則ち達せずだろ!」 とか

後輩を含蓄たっぷりにしかれば

「やべぇ・・。この先輩、学がある・・・先輩に付いて行こう・・・」となること請け合いです。


また、もともとより良い治世を目的としてつくられた宗教なので、いかにして下の奴らを喜ばせつつ(あるいは気づかせないで)搾取するか、っていう観点でも非常に有益な観点が書かれていたりします。ですから、ブラック企業なんかだと論語を社訓にしてたりする会社多かったりしますよね。


仏教やキリスト教は学んでも、神様はいるんでそれまでなんですが
論語は学んだら自分が神になれるという点で実生活において実に費用対効果の高い宗教です。


自分の中で軸がほしい、人から好かれたい、経営者になりたい、とか思ってる人はまず論語を学ぶのをおすすめします。



・論語を学んだら出し抜ける

論語といえば渋沢栄一しかり日本を代表する実業家が陶酔してたのは有名なエピソードです。

彼らはなぜ論語に陶酔していたのでしょうか?

人としてどうあるべきか、というのももちろんあるでしょうが、

論語を学んでると人徳者だと思われる、というのも決め手のひとつだったのではないでしょうか。


経営者というのはビジネス上、時に残酷な決断をくださなければならない時というのは多々あります。

そのような時に「あいつはひどい奴だ!」と後ろ指を刺されたりそのようなイメージをもたれるのは辛いものです。


そのような時に論語に造詣がある人徳者だ、というイメージを周囲にもたせたら随分とイメージ向上になりますよね。

また、そのような人徳者だからそんなことはしないだろう、と思われることでライバルを油断させて一気にグレーゾーンで荒稼ぎすることもできますね。

まさに一石二鳥です。こんないい宗教はないですね。経営者になるのはぜひとも論語は習得しておきましょう。



以上、論語の魅力を粛々と述べてきました。


論語の魅力伝わったでしょうか?


論語は現代でいう

「無職のオッサンが綴るホットエントリ入り多数ブログ」みたいなもん

なので、割と当たり前のようなことがそれっぽく書いてあるだけです。

なので解釈次第でいくらでも使える領域が広がります。

自分自身で解釈をする、というのもなかなかおもしろいものですよ。

僕も毎日何かしら論語の一節をつぶやいていたりするので、よかったらみてみてくださいね。

これから論語がブームになって、もしも○○が孔子の「論語」を読んだら、みたいな本がでてくることを期待してやみません。