ソーシャルメディアは革命だ!とか思ってるヤツは本気で今すぐスマフォを捨てろ
こんにちは
@tokunoribenです。
近年のwebの進歩には目を見張るものがあります。
つい最近までweb2.0などという言葉が流行し、
ブログやyoutubeが双方向の個人の情報発信手段の革命ツールとして、もてはやされていたかと思えば、
やれ次はfacebookやtwitterなどというソーシャル・ネットワークに基軸をおいたサービスが登場し、
iphoneに代表される世界的なスマートフォンデバイスの流行がそれに拍車をかけ
ソーシャル化の時代、などという言葉が流行語大賞をとるかのごとき勢いの時代になってまいりました。
webを通じて人と人がつながりあう、かつては一部のギークの世界に閉じ込められていた慣習やスタイルが、こうしたテクノロジーやサービスの進歩により広く一般の人々に行き渡った時代になった、ということです。
近々だとどこの本屋やコンビニにいってもfacebookだのtwitterだのandroidなどと書かれた書籍が乱立していることからもそのブームを察することができると思います。
また地方のど田舎はどうかしりませんが、今や東京では電車にのってあたりを見渡すと多くの人がスマートフォン片手にtwitterやfacebookをいじっている姿を目にすることができます。
そしてこのような流行や進歩はまた人々の情報入手様式のあり方も変えるようになりました。
かつてはテレビや新聞といった、いわゆるマスコミでしか情報収集をすることができなかった我々一般人も、今やtwitterを使って誰よりも先に世界の最新ニュースをリアルタイムで知ることができます。facebookがあれば、世界中の友人の近況確認が即座にできることができます。
もちろんweb2.0の覇者であったブログもまだまだ終わっていません。
それこそいっぱしの書籍を超えた深い論壇がはられているブログも次々と世に出てきています。
evernoteやdropboxなどと呼ばれるスマートフォンの革新的な技術に依拠したライフハックと呼ばれる仕事様式の変化も流行りつつあります。
そしてこのような大きな変化はある人はこう呼びました。
「ソーシャルメディア革命」、と。
ソーシャルメディア革命は人々の情報リテラシーに著しい成長をもたらしました。
今までは時代や権力のうねりに巻き込まれて知りうることもなかったあらゆる情報がリアルタイムで共有されていく時代になったのです。
そしてそれらの情報は時に世論となって大きな影響力をもたらしていまいました
例えば国内で話題になった事例を振り返ってみましょう。
北京オリンピックでのチベット人権弾圧
宮崎県口蹄疫
中東facebook革命
東日本大震災
福島原子力発電所事故
思い出すだけでずいぶんとたくさんありますね。
人々は時代のうねりの中に消えて行くしかなかった情報を広く共有しあうことで、一大世論を形成したのです。
そして従来の一元的なメディアのあり方に多くの人が疑問を呈したのです。
これを革命と呼ばずして、なんと呼べばいいのでしょうか。
なんという素晴らしい時代でしょう。
webの世界には無数の情報コンテンツが溢れ
人々は誰しもがそれらの情報の中から正しく、最新の情報を手にい入れ共有することができるようになったのです。
無限に吐き出されていくフィードからは、ありとあらゆる世界の最新情報から最新の流行、アイディア、ライフハックがあふれだし、その向こう側にはずっとずっと明るい未来がある、
そうずっと、多くの人が信じるようになりました。そして僕もそれを信じていたのです。
今日もスマートフォンでtwiterやfacebookにアクセスして最新情報をチェック!
えっ! このニュースはひどい!
リツイートしてみんなに共有だ!
うわ、この動画は感動する!
いいねボタンを押して友達に教えてやろう!
うはww この2chまとめ記事はワロタw
タグを付けてはてブで共有!
むむっ このライフハックは役立つな!。
さっそくevernoteに保存! これで家でも外でもアクセス可能!さっそく仕事に役立てる!
おっ テレビのニュースでさっきのtwitterでみたことがやってるぞ
なに今頃こんなこと言ってんだよ!そんなこととっくに知ってるぞ!
隠蔽するな! 真実を報道しろ! ブログで事実を広めてやる!
これだから日本はダメなんだ! 情弱乙!
おっ もうこんな時間か
いやぁ、それにして今日も成長してしまった(笑) 人生勝ち組まちがいなし!
実に有意義な一日だった。
けれども僕はあるとき、ふと、思ったのです。
「ソーシャルネット革命は果たして僕の人生に幸せをもたらしたのだろうか?」と。
いやいや革命だぞ?変わるにきまってるじゃないか。
しかしながらよく考えてみると僕の人生はまったく豊かになっていなかったのです。それどころか何も変わっていなかったのです。
twitterで最新情報や真実を知ったところで、社会は何一つ変わらず同じような毎日が続きます。
facebookでいつでもどこでも友達とつながれるはずなのに相変わらず孤独なことに代わりはありません。
スマートフォンというデバイスを使ってライフハックを駆使したところで、仕事が減って働かなくてもよくなるどころがむしろ労働時間は増えていきます。
よきよく考えてみると中東のfacebook革命のときは日本のマスコミの対応や憤りを感じていましたが
果たしてそれを人よりも早く知ったところで俺の人生や生活に何か変化があっただろうか? 何かできることがあったのか?
これはすごい、○○のために知っておくべき5つの記事とかいうブログを必死になってタグ付けして読んだり知ったところで生活は豊かになったのだろうか? 収入は増えた?
アップルが劇的な新製品を発表して、それを知ったところで何かそれで自分の人生が劇的に変わることってある?
あの人はこんなことを考えてる、っていうのはわかったけど、君はどう考えるの? それは誰かのアルファブロガーの意見じゃなくって?
ソーシャルメディアに依拠した新しいサービスが次々とでてきて自分のことのように胸をときめかせてるけど、それにたいして自分はどう? 何をしてるの? 何ができるの?
ソーシャルメディアを駆使したところで、楽して成功できるようになった? 就職は? 受験は? 恋愛は? 難易度は変化した?
あれ? 収入は全然増えてないぞ。友達も増えないぞ?仕事量も変わらないぞ? 使える時間も変わってないぞ? 出会いもちっともないぞ?
あれよく考えたら生活は何も変わってないぞ? 人生はちっとも楽になってないぞ?
あれ? あれ?
そう、僕は気がついてしまったのです。
いかにソーシャルメディアがすごいからといって、自分は何もすごくないのです。
ちょっと自分がすごくなったような気がしますが、すごいのはソーシャルメディアであってあなたは何もすごくありません。
ソーシャルメディア上ですごいと言われてるような人はそもそもソーシャルメディアなんかなくたって最初からすごい人なのです。
そしてソーシャルメディアで簡単に手に入るものなんて、しょせんその程度の価値しかありません。
フィードをいくら必死になっておいかけたって、フィードの向こうに未来なんてありません。人生は何ひとつ変わりません。
人生を変えることができるのはあなたの今までの努力の積み重ね以外にありません。
今も昔も変わらない「努力」でしか人生は変えることができません。
未来は自分への投資でしか開かれないのです。
少なくともフィードを眺めてニヤニヤしてるだけでは何も人生はかわりません。
しょせんその程度のことにしか過ぎないソーシャルメディアというものを何かとんでもない革命や変化として捉えて自分の成長と同一視しているとあなたはいつの日か気づくことになります。
ソーシャルメディアから切り離されると、何の価値すらない自分に
スマートフォンがないと何もできない自分に。
今ならまだ遅くありません。
あなたの時間を蝕んでばかりのスマートフォンを捨てましょう。
ソーシャルメディアなんてクソくらえ、って言えるような人生に変えましょう。
いつの日かきっとソーシャルメディア上ですごい、と言われて話題になるような人になれるかもしれませんよ。