映画「もしドラ」が僕達に教えてくれた大切なこと
こんにちは
@tokunoribenです。
今日は友人の女の子とブラックスワンをいう映画を観に行こうしたのですが、これがなんと満席! 時間の兼ね合いもあり、もしドラ を見ることになりました。
マネジメントの神様にして今年生誕100年のドラッカーを折よく題材にして、出版不況が叫ばれるこの世の中発行数250万部という化物級のバブルを迎えたもしドラ。
そして会いに行ける程度の女の子ですら国民的スターダムへとのし上げてしまうという驚異のジャンク債手法を用いて日本中にバブルを生み出したAKB48。
そのバブルとバブルをかけ合わせたら何が起きるのか?
その経済学的にも貴重な答えをこの映画は教えてくれました。
この無虚な2時間もきっとブログのネタを提供してくださったという何かの思し召しに違いないと僕はこうしてキーボードを叩くわけです。
さて、僕達はこの映画から何を学ぶべきでしょうか?
一緒に考えていきましょう。もちろんネタバレも含みますので閲覧にはくれぐれもご注意ください。
今回の原作がバブルの渦中にあるもしドラなら、登場する主演も同じくバブル渦中のAKB48、そしてそのなかでも頂点オブ頂点に君臨する前田敦子さんが今回の主役です。
そう、まさに今回の総選挙であっちゃんの一位であることが既定路線、そしてたとえ選挙がどのような結果であれ、数字ではもはや表し用のない一位と二位の差を知らしめるためにつくられた、それがこの映画です。
したがってこの映画はまさに「あっちゃんのあっちゃんによるあっちゃんのための映画」と言っても過言ではありません。
そのような映画でありながら我々は冒頭からある違和感に苛まれます。
(…脇役の方がかわいい…)
冒頭から主人公南の友人役、野球部の元マネージャーとして名演技をこなす川口春奈ちゃんの可愛さが目を引きます。
本来であれば「もしも国民的アイドルが映画で主役をこなしたら」というアイドルが中心にありきという体で進められる映画が、アイドル自体が単体では多大なリスクを含んでいるという稀有な性質をもつために、節々でそのリスクが顕在化していきます。
これではもはや「もし高校野球のマネージャーくらいの人が映画に出たら」ではないのか、と。
しかし、この国に存在するありとあらゆるアイドルの中で頂点に君臨する女、それ故の自信からくる得も知れない演技力が観るものを引きこんでいきます。
やっぱりこの培われた自信の積み重ねがあっちゃんなのだ、と。
彼女をナンバーワンたらしめているのだ、と私は思うのです。
とはいえこの映画のもう一つの見所はやはり250万部を売り上げた原作。
恥ずかしながら私はもしドラの原作も読んだことがなければドラッカーも読んだことがありません。
それ故ドラッカーなるものがいかなる理論を提唱しているのかはおぼろげなものしかありません。
しかしながら、ドラッカー自体はやはり経営学にひとつの金字塔を打ち立てた偉大な人物だというのは大学で商学を学んでいた身として強く感じるわけです。
果たしてドラッカーはどのような人類の叡智を見たのかと、無垢な少女である高校野球のマネージャーにどのような未来を見せたのかと。
それは優子推しで不毛な時間を過ごす私にとって一縷の望みでもありました。
そしてまた我々はある種の疑問にぶつかるのです。
(これ…ドラッカー、って必要…?)
病床に伏せる幼なじみであり親友である友人から野球部のマネージャーを頼まれた主人公のみなみは、ふとした偶然から手にとったドラッカーのマネジメントを片手に野球部改革に乗り出します。
メンバーからのヒアリングは前任者で病床に伏せる幼なじみの元マネージャーの体に鞭打って丸投げ。
重要な野球戦略も先輩と後輩マネージャーに私は後任で知らないからと、適所適材の名のもとに丸投げ。
いつも何の仕事してるのかわからないけど、役職だけはなぜか高い、というまさに現代企業社会そのもののマネージャー像を見事に描ききってくれます。
そしてメンバーの名前と顔が一致するタイミングを与えられたないまま、いつのまにか舞台は甲子園地区予選の決勝戦へ。
ここで冒頭に登場する病床に伏せる幼なじみが甲子園への決勝前日に病死する、という重大アクシデントの発生。
これ、なんていうタッチ?
メンバーに走る動揺、
ここはマネージャーの手腕が問われるところ。
「だから私は野球なんて嫌いだったのよ!!」
と、メンタルを崩壊させ逃亡する主人公みなみ。
そして夢の中で登場するドラッカー先生
逃げてはいけない、などともはや経営学の欠片すら感じさせない
清々しい名言を吐きみなみを球場へと送り返す先生
しかし、そんなみなみや死去した元マネージャーのことを露ともせず、普通に6回無失点で押さえ好調に試合をこなす選手たち。
恥ずかしそうにしげしげと帰ってくるみなみ。もうお前いらないから帰れよ。
なにはともあれ競合相手に善戦し、9回裏一点差に追い上げ、いよいよ舞台は最終打席、野球映画一番の見所のクライマックスへ。
打席にたつのは今の今までエラーにつぐエラーでチームに迷惑をかけつづけた選手。
どう考えたって代打を出すしかない、それこそがマネジメントではないかという視聴者の期待を見事に裏切り、
俺はあいつを信じる、ともはや旧日本帝国終戦間際の精神論でもって乗り切ろうとする監督とメンバーたち。
そして、どこをどう間違えたか逆転劇が発生し、歓喜に沸く球場。
この奇跡の大逆転をを大会当日に死去した幼なじみであり、元マネージャーに捧げます、とでも黙祷とのシーンでもあるのかと思えば、喚起して大はしゃぎするメンバーと応援席を写して終わり。
元マネージャーとはなんだったのか。
結局、主人公みなみのマネージャーとしての素質がなんだったのかも描かれず、もともと優勝できる素質があったにも関わらず、それを何ら活かしきれなかった前職のマネージャーがかつてないほど最悪の無能でしたwという汚名を着せられたまま死んでいったという後味の悪さだけを残して映画は謎の軽快な音楽とともに幕を下ろします。
そう、我々はこの映画を通じてマネジメントなんてぶっちゃけ運だろというすべての経営学を灰燼に帰す答えを体現することになるのです。
もしドラとAKB48、この二大流行に乗り遅れまい、と貴重な祝日を投下して劇場へと押し寄せた全国のサラリーマンのご父兄の方々に、マネジメントという虚学そしてAKB48という虚栄というバブルの儚さを身を持って叩き込んだ本作品はまさに「リーマン・ショック」として映画史に残る金字塔となることは間違いありません。
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