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ラピュタなんてなければ、幸せだったのに

人生論

ラピュタを見た。やっぱり20年を超えて今もなお語り継がれるジブリ作品とだけあって、今もなおその面白さは色褪せない。


名作はいつの時も見る人の成長にあわせて違った何かを見せてくれる。

ラピュタで一つの重要なテーマが主人公のパズーとシータ二人の境遇である。

パズーは、貧しい炭坑街の孤児。そしてシータもまた貧しい寒村の農家の孤児。

永遠に開けることのなかった未来は「飛行石」という奇跡によって急展開を迎える。

ドーラのもう2度と戻れないかもしれないよ。との問いに迷わず構わないと答えたパズー。

戻れなくなっても構わない、という覚悟だったのか、戻りたくなかった、という逃避だったのかはわからない。

少なくとも二人には失うものなんて何もなかった。


きっとパズーとシータは多分あの冒険が人生の絶頂になるんだろう。

得難い経験をしたことは確かだけど、ドーラ一家と別れた後、二人を待ち受けている現実はあまりにも残酷だ。

パズーは最早掘り尽くして大した質も収穫量も見込めない貧しい炭坑街で泥水を這いずるような仕事で同じような毎日を過ごす。

シータだって寒村の貧家に引き取って日々大した金にもならない家畜や農作物の世話に明け暮れる日々が待ち受けている。

どちらかの故郷に行って、彼らが結婚したとしてもその状況は劇的に好転する訳じゃない。

パズーもシータもそれを好転とは呼ばないかも知れないが、帰郷後の彼らを待ち受ける周辺環境は元通りあまりに過酷だ。

どうしようもない環境の中を生きていく日々の中で「あのときは良かったなあ」と思わせるような夢のような体験を、人生の絶頂を、あんなに若くして迎えてしまったことは彼ら二人とって良かったのだろうか。

いつかラピュタに行って父が正しかったことを証明するんだ、と辛く苦しい毎日の間をぬって飛行機作りを生きがいに生きてきたパズー。

祖母からのラピュタの伝承と謎の家宝に胸をときめかせ、自分はただの農家じゃないんだ、と夢見ていたシータ。

そんな支えを失った二人はこれから何を支えに生きていくのだろうか。

あの時は本当にドキドキしたね、そんなやり取りはいつしかその後に繰り返し続く現実を悲しいまでに浮き上がらせるだけに終わり、いつしか二人の間の口数は少なくなる。


そして暗く薄汚れた部屋で、同じように変わらない朝がやってきたとき、どちらともなく嗚咽が漏れる




       ラピュタなんてなかったら、幸せだったのに。