世の中で一番危険なのは、「自分はこんなに辛い思いをしているのだから、成功するしかない。」という強迫観念。

昭和42年生まれ元司法浪人無職童貞職歴無しの赤裸々ブログ

このブログをふらっと読見始めたら、一気に引き込まれて結局最初から最後まで1時間かけてぶっ続けで読んでしまった。

そして自分の受験生の頃を思い出して久しぶりに鬱な気分になった。どうしようもなくなったので、ブログに吐き出して忘れて寝る事にする。



このブログの著者はまぁ、読んでもらえばわかるのだけれども、男子高校に行ってしまい青春らしい青春を過ごせなかったという全うな大人から見ればアホみたいな理由で鬱積した感情を持ってしまったばっかりに、青春を満喫した同級生らと自分が同じ大学という事実を認められず、それを挽回しようとして、5年間浪人・仮面浪人を繰り返し、あげくのはてには20年間司法試験浪人を続けて、工場で派遣労働者として月収10万にも満たない金額で鬱屈した毎日を送っているとプロフィールにある。筆者の行く末は知らない。社会に危害を及ぼすような存在にならないことを願うばかりである。

ちょうと久しぶりに自分の過去のブログを読み返していたこともあり、自分の受験生の頃を思い出してしまっていたこともあってあの頃を思い出して本当に暗い気持ちになった。

なぜならあのころも自分もどことなく同じ感情を持っていたようなことを思い出したからだ。


受験生時代、浪人時代、来る日も来る日も勉強していた。社会人になった今でも半年に一度くらい、受験勉強に追われる夢を見て汗びっしょりで目が覚めることがある。もうとっくにあの日々は終わったのに。

いや、勉強が辛かったわけではなくて、正確に言うと勉強くらいしかすることがなかった自分が辛かった、というべきだろうか。

世の中で一番危険なのは、「自分はこんなに辛い思いをしているのだから、成功するしかない。」という強迫観念である。

確かに成功するための必要条件として多くの場合辛い努力というのはつきものであるし、日本ではなおさらそれ賛美する文化がある。しかしそれは辛い思いをすれば成功できるということにはならない。

この当たり前とも言えば当たり前とも言うべきことだが、これが鬱屈した感情下においては自分が苦労すればするほど自分の成功が近づくような感覚に陥ってくるのである。

自分は、周りが遊び惚けて幸せな人生をおくっている中、それをあえて断ち切ってみじめな生活をしているのだから、彼らを凌駕する大成功をおさめるに決まっている、いやそうでなければ自分のプライドが許さない。といった具合に。

ところが実質は鬱屈した感情だけが先行してしまっているため、努力の部分が抜け落ち、自分が見下してた存在に及ばないどころかそれを遥かに下回る結果がでてくる。そしてその事実を認められず、溜飲を下げるためにさらにより実態とかけ離れた高みの目標を設定してしまい、鬱屈した感情が積み重なりドンドン負のスパイラルに陥っていく。。。そして気がついたときにはもはやどうしようもないくらいに、取り返しがつかなくなっている。

あのとき、僕は確実にこのスパイラルの中にいた。本当に危なかった。

あのとき、判断を誤っていれば、僕は確実にもっていかれてしまっていた。

あのときの僕は人生で最も正しい決断をした。


あれから7年が過ぎ、僕は新卒で入った会社を1年で辞め、会社をつくり代表取締役になった。

そしてこの起業家というか会社経営者というのはこのスパイラルとの相性が世界で最悪の職種である。

資格取得やサラリーマン稼業なら、多少感情が歪んでいたりベクトルが間違っていたとしても、積み重ねてきた時間は嘘をつかない。基準点が存在する以上確実にそれに向かっては進んでいける。


ところがビジネスというのはまったくの正反対である。積み重ねた時間や感情に固執し、サンクコストから抜け出せず判断を誤ると本当に即死する。即死だ。

勝って勝って勝ちまくって勝ちを積み重ねる以外にビジネス上の成功のセオリーは存在しない。楽しようがずるだろうが、勝つための最短ルートをとった人間が勝つのである。苦労や失敗というのはたまたまその途中にあった、というだけの話だ。

苦労や失敗の積み重ねがなければ華々しい成功の果実にありつけないというアピールは成功者によって作られた挑戦者への参入障壁である。

この事実を見誤った人間は、本当に惨めな末路をたどる。


そして、今自分はその残酷なレースのスタート地点にたってしまった。

これから目指すのは最短ルートなのか、それともあのとき抜け出したはずの高みの目標だったのか・・・


それはまだ、わからない。