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受験とはいったい何だったのか。

そういえば最近受験シーズンだなとふと思ったので、受験について思っていることをまとめておこうと思う。

もう大学受験なんて今思えば、7年近く前なわけで、遠い過去の話になってしまったけど、結構僕はまじめに受験勉強をしていた気がする。


前のブログにも書いていたけど、悲劇のヒロイン思想というかなんというか、あえて苦労している自分が好きなんだったと思う。

別に勉強が好きでも得意な訳でもなくて、勉強してるという一般的には攻められようのない大義名分に時間を割く事で自分の人生の存在意義を見出していた。どうせ一生懸命になれることなんてないんだから、だったらとりあえず勉強でもやってた方が少しはマシなんじゃないか、的な。

大学に合格するのが目的でっはなくて、一生懸命毎日を生きているふりをしていたような気がするわ。

そんで結局浪人して、いろいろ考える時間だけが膨大にある中で途中で我に返ったわ。なんかしかるべくしてしかうべき結果に落ち着いた気がする。

あのときよくブログ書いていたな。懐かしい。


年数がたって社会に片足突っ込んでしまた今から思えば、受験とはいったい何だったのかと思ってしまう。

なんか、こうそれだけで人生の雌雄を決するようなイベントだったと思ってたのだけど、実際はそうでもないのかなって。

記憶が定かではないが、先生がセンター試験の前に「センター試験は人生で最後の公平なテストです。」だとか言っていた気がする。

数字で一緒くたに評価されて上下が決まるのは割と残酷に見えるけど、これはある意味親切な設計だわ。

ひとたび社会にでてしまうとなぜかみんな違ってみんないい、的な風潮が蔓延しているので、なかなか自分の位置に気がつかない。

そうやってほんとは終わってるのにそれもまた人生よみたいな感じでみんな納得して過ごしていってしまったりしてしまうしね。


一発勝負のペーパーテストだで、人に優劣つけるのはけしからんとか言うけれど、そんなことないと思うよ。

海外の大学は入るのは簡単、卒業するのは難しいとか言われていて、大学入試も内申点とか小論文とか、そういう総合的な評価が多いと聞くのだけど、これだとかえって、フェアじゃないよね。

だって、それだとみんなやれ高校のときはボランティアやってましたとか、スポーツで何とか大会に行きましたとか、海外留学しましたとか、そういう結局リア充的な人間しか集まって来ないから、なんかもう金太郎飴みたいに絵に描いたエリートのオンパレードみたいになるって話を聞いた事があるわ。

なんかもういかにも休日はHAHAHAとかいってバーベキューをエンジョイしてる人の集まりみたいな感じ。

ごめん、俺無理だわ。それ。非リアだし。

その点日本のペーパーテスト方式の試験ってのはフェアだよね。どんな生活を送ってようが、どんなことをしてようが、やる気があろうがなかろうが、イケメンだろうが醜男だろうがただその数十分の一発のテストにおいていい点数をとった、という事実のみで評価される。

だから、大学にいくとほんとにいろんな人生経験を持った人がいて面白かったよ。いい意味でも悪い意味でもなんでこの人ここにいるんだろ?って人いっぱいいたし。大学生活の過ごし方もほんとに、みんなそれぞれだった。

純粋に学問を学ぶという意味では、日本の大学とはどうかと思うところがあって俺も例に漏れず、学問という学問を学んだ記憶が
ないのだけれど、一般教養というか、自分の狭い価値観から抜け出して、多種多様な価値観に触れるという意味では、こんなに他に恵まれた環境はないんじゃないのかな?

とは言えそこにたどり着くまでの関門として結構キツイ受験勉強なるものがあって、

振り返ってみると、今後一生使うこともないであろう数学やもはや記憶の片隅にもないマニアックな日本史の知識って何か意味あったのかな、と思うけれど、

やっぱり人生のどこかで与えられたフレームの中で全力を出す経験っていうのはより良い人生を送る上で絶対に必要な経験なんだ、と今になって思うわ。

結果論から見れば、別に必ずしも努力を積み重ねた人間の全てが成功しているとは限らないけれど、

その瞬間瞬間で与えられた制約の中でよりよい人生を過ごす為の確率を少しでもあげるための努力を積み重ねた人間だけが、結果として大きなチャンスを手に入れて良い人生を過ごす事ができるのは間違いない。

そういう努力を無駄だ無駄だと笑って、頭でっかちの知識で揶揄することで優越感に浸ったりする人はいつの時代もいるけれど、そんな人間が大きな成功をつかむことはあんまりない気がするな。

逆に与えられたフレームワークの中で全身全霊で力を出し切った経験を持った上で、その上でフレームワークに問題提起できる人間は、新しい何かをつくることができるんだろうなって思う。


幕末の激動期を駆け抜けた坂本龍馬だって、脱藩した浪人で革新とか改革の象徴のように描かれるけど、旧態依然の価値観の象徴ともいえる剣道では国内屈指の実力者だったことからもわかる通りだ。

「いや剣術とか言うけど、銃の前では無意味でしょwww 練習する意味なくねww? 」

って、もし若い頃の坂本龍馬が言ってたとしたら、多分ただの変質者で終わると思う。


結局のところ人生はそのときそのときで最善だと思った選択の積み重ねでできているのだと思います。

やっぱりその一瞬一瞬で全力を尽くさない人間、そういう経験を持っていない人間というのは、イレギュラーな機会が訪れたときに、そのチャンスを活かせない。

そんな風に人生を考えさせてくれる、いい機会、だったのだと思います。

必ずしも全ての人が望む結果になるわけではないので、悲喜こもごもなのが受験だとは思いますが、

やっぱり、そこのフィールドで振り抜いた経験というのは、どこかしらで活きてくるもので、よりよい人生を過ごすためには必要な経験になると思います。

悔いのないように頑張ってください、と思うのでした。