読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

まとめ教という新しい宗教の時代

人生論

いつもコンビニにいくと不思議に思うことがある。

どこのコンビニにもたいてい書籍のコーナーがあって、そこには雑誌以外にもいくつか本が置いてあったりするのだけど、

雑誌やコミックに混じっておいてあるのは不思議なことにいつ、どこのコンビニにいっても同じような本ばかりなのだ。

裏情報、世界の陰謀、人生がかわる、成功する方法、給料が10倍になる法則、面白画像・・・

わずかなスペースには、そういったキーワードがちりばめられた本が所狭しと並んでいる。

コンビニと言えばその膨大なPOSデータを駆使して売れ行き商品しか置かれない、各メーカーが陳列スペースを巡って、争う激戦場である。

そんなところで、狭いスペースに置いてあるのはあってアマゾンやら本屋やらでランキングを独占するベストセラーではなく、こういう本が置いてあるのは、これらが売れるからなのであろう。


でも、冷静になって考えたらわかることだ。

全国数万店舗にあるコンビニに置いて数百円で売ってある時点でそれが裏情報や陰謀であるはずがあるのだろうか。

読むだけで人生が変わる?成功する?年収が10倍に増える? 

冗談キツい。

そんな本がそこらのコンビニで置いてあって、本当に効果があるのだとしたら、とっくにそんな人たちはコンビニに来なくなっているのではないか? 

闇金ウシジマ君でももう少しマシな設定の人間が出てくるだろう。


仮にもしこんな本を意気揚々得意げに小脇に抱えながら、


「ふふ・・・ 俺は世界の闇を知ってしまった・・・変えるぜ・・・人生を・・・そして世界を・・・!。あ、あとLチキひとつください。」


などと言っているような人たちがいたら、その人らの人生の行く末はどうであろうか? 

結果は想像に難くない。






でも、これがインターネットに話を移した瞬間に、気がつけなくなってしまう人間が多いのはどうしてだろう。






この10年くらいの間に、2chが生まれ、ブログが生まれ、はてなブックマークが生まれ、mixiが生まれ、twitterが生まれ、facebookが生まれ

情報の発信場所が爆発的に増えた。でも情報量が増えすぎて、自分1人では収集しきれないのもあって

ある程度情報を整理してまとめて教えてくれるサイトの需要ができ、まとめサイトというものができた。


まとめサイトはすごくわかりやすい。毎日沢山の更新がされて、ジャンルも多彩、時事性も豊富。

だからそれを毎日見てるだけで、世の中のことが大体わかったような気になってしまう。

特に最近ではスマートフォンが広く普及したおかげでいつでもどこでも誰にでも簡単にそれらの情報を見る事ができるようになった。



スマートフォンを立ち上げれば、それこそ最新の情報がテレビや新聞で放送されるよりも早く知る事ができる。決してテレビでは放送されそうもない、「裏」や「陰謀」めいた情報を知る事ができる、そしてきらりと輝く、「人生を変える」エッセンスまとめ情報を見る事ができる。


3.5インチのスクリーンと指の向こう側に「真実」の世界をあなたは知る。


きっと、ここ、だよね。


ノイズを排除し整理して、用意されたものを”情報”だと信じてる。


ノイズが排除された綺麗なマスコミの情報には嫌悪感を訴えるのに、ノイズが排除された綺麗な誰かの書き込みは素直に聞き入れてしまう。

それでどこかの誰か誰かが言ってた綺麗な言葉を、何も疑わずに「自分の考え」として吸収していくから、そのうち「自分自身」が安っぽくなっていく。

まとめサイトを使ってネットの海を上手に泳いでるつもりで、実はネットの海に沈められてる事に気づかない。

温存された万能感に自分自身を蝕まれていることに気がつかない


昔、ソニーの元社長の出井さんが、テレビとネットの違いについて、テレビは15度後ろに倒れてみるメディアで、ネットは前に15度乗り出して使うメディア。この30度は超えられない、と言っていた記憶がある。

そう、この30度が、ただ流れてくるテレビの情報と違って、ネットの情報はほんのわずか検索ボックスにキーワードを入れたり、Twitterに流れてきたリンクをクリックしたり、スクリーンをいじって「苦労して自分の力で得た」という錯覚を生むから、「この情報は価値があるはず」「信頼できるはず」と思わせる。


でもね、ネットを使ったところで、「語らない人の情報」は手に入りようがないのだから、ネットで手に入る情報というのは積極的に語りたい人の情報だらけだ。

報酬刺激という言葉がある。

人の脳は、既に「同調した知っている情報」に対してしか興味を持たず、その知っている情報の更新のみを必死になって行うんだそうだ。

だから別なところ、いや、目の前に「別な面白いネタ」があっても、他人が、これ面白いよといっても、相変わらず自分が「同調した知っている情報」に対してのみ、情報の更新がされるのを期待するんだそうだ。これを報酬刺激やエコーチェンバー現象とも言う。


そう、人が賛成するのは、いつもこうであって欲しいという「願望」。 

結局、ひとは自分にとって都合の良い情報を集めて、自分を納得させているだけだ。


まとめサイトも結局のところもこの願望が形を変えたものだろう。


「皆がこんなこと言ってますよ。 そしてこれらの意見のうち、これに注目するべきですよ。みんながそう言ってるんであなたの考えも間違いないですよ。」


ネットには、みのもんたもミヤネさんもいないから問題に対して「深く考えずに同意してもきっと大丈夫な誰か」が欲しい、


自分は正しい、そんな願望が姿を変えた、インターネット上の匿名の集合知の総合体、それが、結局まとめサイトの本質なんだろう。


そして匿名の集合知は、いつしか願望の域を超えて、人々の行動すら支配し始めるようになった。


ラーメン屋を自分の感性ではなく、口コミサイトやまとめサイトの評判を見て選んだ。

観たこともない映画をまとめサイトで酷評されてるのを見て、つまらない映画だと評価して見に行くのをやめた。

みんなが、ブックマークやお気に入りにいれている、人生を変える何とかの方法を自分も同じようにやってみた。

会ったこともない国の人たちを、まとめサイトでみんながボロクソに言っているから自分も嫌いになって同じように嫌悪の感情を持った。

かたやあるところでは人の失態画像を爆笑画像としてみんなと同じように笑いのタネにしてほくそえんでいる一方で、あるところではみんながそう言っているから不謹慎だと罵詈雑言を並べ立てた炎上させた。


結局、願望に都合の良いように、世界をとらえて、それが価値のあるものだと信じて、自分の判断基準をゆだね、悦に浸った。







ねぇ、それって宗教じゃなかったらなんていうの?








わかりやすく言うね。


君が、毎日毎日、まとめサイトとやらで、見ている情報が本当に人生を変えてくれるような有益な情報だったとしたら、君がいつまでも、いつまでも変わらない底辺層で日々をすごしているのはなんでなのかな?

何世紀もかけて人類が科学技術を発達させてきて進歩してきたはずの現代で、週休2日で8時間労働どころかいつまでも何百年前の底辺層と同じように毎日肉体的も精神的にも追い込まれ、なんら経済的にも好転する見込みもない人生を君が送り続けているのは、

自分がネット上で追いかけていたものは、何か本質的に価値のある情報でもなんでもなくって、ただの世界はこうであってほしいという願望の羅列だったからでしょ?

そして、それら願望を手元のスマフォを使ってまとめサイトやTwitterで見て「自分が能動的に取得した」という錯覚でごまかされ、温存された万能感にいつまでも浸っているだけなんじゃないのかな? 

ただの願望なのにね。自分自身が変わったような錯覚にすぎないのにね。

そしてその節々で出会った夜な夜な放送されるアニメや日々印刷され続けるマンガを眺めては、誰かがつくった寓話の世界へ妄想を拡げて没入して、

ただ、ネットで見た。みんなが言ってる。というそれだけの情報で、自分が会ったことも経験したこともない、他民族や他国を憎しみ、憎悪をまき散らし、強きをけなし、弱気をあらう、勝者のアラを探して嫉妬心をやわらげ、敗者の弱点をついてささやかな優越感をえる、そして本質的に向き合わなければならない、現実から目をそらして、温存された万能感で自分と現実世界のギャップをごまかしごまかし毎日を過ごしているんでしょ? 




それが宗教じゃなかったら、なんていうのかな? 




教典に書いてあることを鵜呑みに信じて、自分にとって都合の悪い存在をけなし、憎しみ、現世から目をそらして別世界に自分の都合の良い願望の世界を思い描いてきた人類数多の他の宗教と何が違うのかな?



これは、さしずめ、「まとめ教」とでも言うべきなのだろうね。




でもね、仕方ないよ。



いつの時代も現在を不遇に生きる底辺層が宗教に救いを求めるのは変わらないよ。


そうそう、三大宗教の一画の仏教の教典にも興味深い名前のものがあるよ。


『四諦』 タイトル訳:あなたを苦しみから解放する4つのステップまとめ
「三法印」タイトル訳:人生をよくするために知るべき3つの真理まとめ
「八正道」タイトル訳:正しく生きるために守るべき8つの習慣まとめ
「六波羅蜜」タイトル訳:仏道修行者が必ず実践すべき6つの行動まとめ



いつの時代も人が考えることは同じだね…










「ネットは広大だわ…」







未だ、インターネットすら世の中になかった時代につくられた、「攻殻機動隊」のなかで草薙素子は物語の最後にそう言い放った。

その言葉はネットの世界が広く普及した、現在もなおネットの本質を表す、言葉として広く使われている。

でも、広大なネットの海の中には自分の知りたいものや答えがきっとどこかに隠れているはずだと思い込み、人生の答えをネットで探し続けたのが終わりの始まりなんだろうね。

そしてまた今日も広大なネット上には、新しい宗教の教徒たちの念仏が響きわたるのでした。




まとめ・・・まとめ・・・ まとめ・・・まとめ・・・




いつまでも、いつまでも、変わることなく、ずっと、ずっと……