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日本人は「兵站」に関する意識が低すぎるんじゃないか、というお話。

起業論

前回の日本ユニセフに関する記事は未だにコメント欄に様々な意見が寄せられていて、いい勉強になります。

前に書いたブラック企業に関するエントリもそうだけど、自分のブログに対する反応や意見などを呼んでいて日本は兵站に関する意識が結構低いのではないかとふと考えてみました。

これは単に僕が会社をつくってビジネスをやるようになって兵站の重要さを身にしみて考えるようになったことと無関係ではないと思います。

経営における兵站の重要性は下記の清水さんのブログにとても本質的なことがまとめられています。

戦略(Strategy)、作戦(Operation)、戦術(Tactics)、そして兵站(Logistics) - UEI shi3zの日記 http://d.hatena.ne.jp/shi3z/20120416/1334543387




兵站というのは、もともと軍事用語で「戦闘地帯から後方の、軍の諸活動・機関・諸施設を総称したもの」を指すのだが、
ここでいう兵站というのは、わかりやすく言うと一見して表側に出てこない裏側の部分の仕組みの総称であると捉えておきましょう。

例えばコンビニに行くとペットボトルにはいったお茶が1本150円かそこらで売ってます。

このお茶の原価、純粋にお茶だけの原材料にかかる費用で言うとだいたい1本10円未満かそこらです。

これだけ見ると1本10円のものを15倍もの単価で売っているコンビニは暴利を貪っている!ということになります。

あるいは、同じお茶がスーパーか何かにいくと箱積みで1本100円かそこらで売っていて、同じものなのにこんなに価格差をつけて売っているのはけしからん!ということにもなります。

しかし、この150円の価値の中には、兵站のコストが含まれてるわけです。

つまり、ペットボトルにはいったお茶はお茶で物自体には代わりはないけれど、それを24時間365日最適な温度、清潔な環境で綺麗に陳列して維持し、かつ在庫が切れる事無く補給し、かつ店員が即時に販売し続けることが織り込まれたコストがこの150円の意味です。

確かにお茶自体は安いかもしれないですが、物を運び、保管し、供給するということにも当たり前ですが、コストがかかります。もちろん店員が物を売るときの人件費だって無視できません。

極論店員がレジを通して商品を袋に入れる作業に30秒かかったとしたら、それだけで時給1000円のコンビニ店員の人件費が約8.3円かかることになるし、店員にその作業をきちんとすることを教育する費用やレシートを発行したり袋にも金がかかってます。ってかうまい棒なんか1本10円で売ってるけどあれとかどうなってるんでしょう。

でも、こういうこと普通にコンビニで買い物してるだけでは、あんまり考えないですよね。

だからいち消費者からすると

「えっ このお茶って原価10円なの!? ぼったくりだろ! もっと安く売れよ!」とか「バイトが冷蔵庫にはいるとかかどういう教育をしてるんだ!!」とか「280円のビールがぬるい!店長を出せ!」とか「たかが募金に経費がかかりすぎだろ!ふざけんな!」とかになるわけです。

でもこの当たり前というか、意識すらされない兵站部分にどれだけ考えを張り巡らせて積み上げていくかかというのがビジネスにおいてはとても大事なんだなぁとしみじみ思う訳です。

で、なんで、日本が兵站に対する意識が低いのか、というところなんですが、それは兵站を担う兵士個々がとても優秀であんまり意識しないから。ではないかと思っています。

兵站に対する意識は低いのは兵站を担う個々の兵士が優秀というのはわかりづらいですが、用は兵站が多少アバウトでもだいたい個々の能力が優秀でカバーできてしまっているのでそれが当たり前になってあんまり真剣に考えなくなってしまうということです。

さっきのコンビニのお茶のところでいうと、150円のお茶には24時間365日最適な温度、清潔な環境で綺麗に陳列して維持し、かつ在庫が切れる事無く補給し、かつ店員がいつでも出来る体制をつくり続けることが求められている訳ですが、このためには店員が定期的に冷蔵庫の環境チェックをしたり、注文をして、きちんと在庫を整理整頓して定期的にお茶を補充する、とかいつでもレジにすぐたてる体制をつくっておく、とか細々した指示とそれを共有するシステムが本来必要になってくるわけです。

こういうのって別に簡単だろ、とか思うのですが、日本以外だったらこうは簡単にいかないんじゃないかなぁと思います。

例えば、言語とか教育レベルの違いによるコミュニケーションコストだってあるだろうし、文化的な違いによる相互の不理解とか、作業をきちんとこなしたらどういうメリットが自分にあるのか、というのを納得させるインセンティブの設計とか、監視する仕組みとかほんとに逐一マニュアルやらシステムやらをつくって、はじめて兵站が確立されて150円のお茶が売れる体制ができるわけです。

このあたりがわりと大雑把にしか決められていなくても、責任感とか個々の対応力の高さでカバーできてしまうのが素晴らしいところでもあると思うんですが、逆にそれが当たり前すぎて今度は自分が立場が変わってお客とか施しをされる立場になると、自分と同じように相手にも通用してると思って価値観を押し付けてしまうのがなんというか日本の息苦しさの原因なんじゃないかなぁ、と思います。本来そこにもしっかりとしたコストが必要とされるもんなんですよ、と。でもって貯まりきったツケが払えなくなると最後にはいろいろひずみがでてくる、と。

まぁ本来の兵站の意味のところでいうと日本もかの第二次世界大戦では個々の兵士とか、戦闘機とか戦艦とか単体ではすごい優秀でも、伸びきった戦線に対する兵站に対する意識の低さで、結局は負けてしまいましたよね。

「戦争のプロは兵站を語り、戦争の素人は戦略を語る」と古い言葉にあるように、戦の勝敗を決めるためにはこの兵站に思考を張り巡らせられるか、というのがとても大事です。

なので、事象を様々な局面や視点から考えて張り巡らせるクセをつけておきたいですなぁ、とブログを書いていて思うのでした。

今回は特にオチとか煽りは無しです。

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