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「偏ってる」とか「わかってない。」とかいうコメントに漂う哀愁感。

自分のブログにアクセスしようとして検索したら、こんな記事を発見。


拝徳がおもしろい


昔からブログを書いていて、一定数、よくわからないコメントや読者様がでるのは常で慣れっこなんで別に何ともないんですが、やっぱりこういう感じがはてな界隈らしくていいですねw 



毎回、ブログ記事を書いていて思うのですが、「偏ってる」とか「わかってない。」とかに類するコメントが残されることがあるんですが、これって何か見ててとっても哀れに思うんです。

そもそも人間って自分にとってリターンを最大化するのが当たり前じゃないですか? 

もちろんこういう人もいるだろ!こういう人のことも考えろ!というのもありますが、それだって結局そうした方が結局はいい人ぶってる自分が気持ちいいっていうリターンに結びつくから、ということですよね。

ブログ書いてる僕の意見だって、今の僕にとってそう考えるのがもっとも腑に落ちてるから書いてるわけであって、当然環境や立場が変われば当然考え方も変わると思います。

客観的やバックグラウンドにみたらそりゃ人によっておかしいところとか間違ってるところもあるかもしれないけれど、うん。そうだね。それで? としかコメントできないですよね。

そもそも世の中に100%の人が賛同してくれるものなんてあるんですか?

結局、相容れない考え方って絶対にあるし、そういう人に説得して「お前は間違ってる。俺はこう思うから、お前も改めろ。」っていう説得コストに労力をさくより、自分の考え方や生き方に理解を示してくれる人を探す方が圧倒的にコストパフォーマンス高くないですか? 

「はぁ。そうですか。そういうかんがえかたもありますね。じゃあ、さよなら。」

で、おしまいじゃないですか。

偏った書き方はフェアじゃない!とかコメントもよくあるんですが、じゃあそう思うなら、あなたはそれを頑張って中立的な立場で書くといいんじゃないでしょうか。としかコメントできないですし、

「こういう考え方もあるし、とはいえこういう人の考えたもあるし、はたまたこういう人もいるし、そういう様々な考慮すると、自分の存在や考えなんていかにちっぽけで愚かなものではありますが、恐れ多くも述べさせていただきますぅ あ、でもこれでもやっぱりこういう見方もできちゃうますよねぇ いやぁ困った困った でもあっしはこう思うんす。」

的な感じで、矛盾や反論を恐れて結局何も言えず自分にとって利益を最大化する着想や価値観を大事にしないでいきて行くのってかえって息苦しいと思うんですよね。所詮ブログなんて楽しいとか承認欲求満たす為にやってるわけじゃないすか。

文章がおかしいとかあんたはまちがってるとか言われても、別にあなたに理解されたくてやってるわけじゃないんです。で終わりだと思うんです。

だから、僕、ブロガーとか有名人の方がブログとかTwitter炎上とかしてて、コメントとかTwitterとかでリプライで応酬しあっていい合ってるの見てすごいなぁって関心するんです。

今はなくなっちゃいましたけど、ブログ読者様のkawangoとかいう人って本当にTwitterで自分宛のよくわかんない意見とやりあってたりしてて、すごいなっておもうんです。

だって、例えば犬とケンカするのにわざわざ四つん這いになるヤツはいないじゃないですか。

でもなぜかご親切にもすごいおんなじところまで降りていってあげて四つん這いになって相手してあげてたとか本当に優しい人なんだなぁ、って思います。

まぁ、僕は文章書くのが趣味みたいなもんなのですが、面倒くさいことになったら、筆も鈍ってストレスもたまってしまうので、これからもまだまだ好き勝手ブログが書けるといいなぁ。

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