会社は何を「茶器」にするかで決まる。

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最近思うのが、会社は何を「茶器」にするかで決まる、ということである。

日本史が好きな人は、この「茶器」と聞いてピンとくるのではないだろうか。

「茶器」というのはその名の通り、「茶の湯において用いられる、抹茶を入れる容器の総称」なのだけれど、

ここでいう「茶器」はそのもの自体ではなくて、「茶器というものにたいして持つ共通の価値」ということだ。

日本史において、織田信長はまさにこの「茶器」の意味を最初で見抜き、活用した人間であると言われている。



時は戦国時代。戦国武将にとって最も大きな報酬は何であろうか? 

それは「領地や権力」である。

領地や権力という恩賞があるからこそ、武将は戦国大名に忠誠を近い、命をかけて戦ったのである。

しかしそれは、下克上がまかり通る世界では武将の力を強め謀反の可能性も引き起こし、また戦国大名の弱体化を引き起こす諸刃の剣でもあった。

織田信長は、そんな部下への恩賞として、茶器を積極的に用いた最初の人物と言われている。

当たり前だが、茶器なんて名匠がつくろうが、しょせんただの瀬戸物である。

普通なら「よくやった! 褒美に茶器をやろう!」と言われたら、「ふざけんなおい!」となるのが当然なのだが、信長がうまいのは、茶器にステータスを持たせたということである。

まず自らが、茶の湯文化を徹底的に尊んで茶会を積極的に開催することで、茶器や茶の湯が持つステータスを向上させたのである。

「この茶器すごいでしょー! ほら、こんなすごい茶器を使って、こんな茶会とかやっちゃう俺ってどうよ?すごくない?すごいっしょ めっちゃいいっしょ?」

「なるほど・・・ そうか良い茶器を所有していて、お茶会を主催するのはとても価値があることなんだな・・・」

という多くの人々の共通価値をつくった上で、茶器や茶会を開く権利を恩賞として渡したことである。

そうすると、茶器や茶会を開く権利というのは周りから見てとても価値のあることとなっていたし、また領地や権力と違って謀反を起こされる可能性もなくなる。

実に画期的なシステムだった。

このあたりはこの本にちょろっと書いてあるので、興味があると読んでみるといいですよ。

新しい市場のつくりかた
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実は現代において成功している会社というのは、この「茶器」の設定がとてもうまい会社だ。

例えば、ITバブル崩壊を乗り越え、今もなお成長を続けるサイバーエージェントという会社には、CA8という制度がある。

まぁ言ってしまえば、どこの会社にもあるただの取締役会なんだが、このCA8に選ばれるというのはCAグループの中でこの上もなく名誉であるらしいのだ。

誰がこのメンバーに選ばれるかというのは、総会で皆が固唾を呑んで見守る一大行事らしい。

同じように、子会社の社長というのも、このグループではとても素晴らしい価値をもつとされているし、実際に皆とてもとても優秀な方ばっかりなのだ。

実際に社外から見ても、これらのポジションにいますとかいましたと言われると、「おおおすごいできる人なんだなぁ」と思ってしまうというのは、それだけにその「茶器」の設定がうまいのだと言えるだろう。

これはそういう価値観を醸成している藤田さんの卓越した経営手腕の賜物であろう。


同じようなのはリクルートという会社にもあるね。本屋にいくと、元リクルートで営業成績No1とかMVPを受賞とかそういう人が書いてある本がいっぱいあるけれど、

普通に考えてどこの会社にだって営業成績No1はいるだろうし、企業によっては扱う商材によってそもそもの稼いだ金額も違うだろうし、特定の会社で営業成績がトップだからといって、それが他の会社で通じるなんて何の保証もないけれど、

でも、「リクルートでNo1やMVPを取ることは仕事ができるということの証明である」、という茶器をつくったことによって、みんなそれに価値があると思っているし、それを目指すんだよね。


まぁ、サラリーマンといえば、本来最も得るべき報酬は「給料」なわけで、

こういうこと書くと、正当な対価を給料じゃない別のものでごまかそうとしてブラック企業(ryという意見もあるのだけど、

従業員の活躍に「給料」だけで報いようというのは、かえってすべてを虚無にする愚策なんだわ。

従業員にとにもかくにも「給料」で報いようとした結果、会社がどうなったかということについては、ワイキューブという過去に倒産したベンチャー会社にその貴重なケーススタディがあるね。

私、社長ではなくなりました。 (ワイキューブとの7435日)
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この本では、社員に結構ベラボーな給料を払った結果どうなったか、ということが書いてあるんだけれど

・最初は喜ぶが、自分はこんな高給をもらうほど仕事できちゃうんだよね(実際はそこまでできない)!という驕りが社員の態度にでて取引先から嫌われる。
・その後の昇給が少ないと、感謝どころかかえって不満を言うようになる。
・また自分が能力以上に高給をもらっていたことで、その後の転職時に落差が受け入れられず苦労をした。

みたいなことがたくさんかいてあって、まったくうまくいかなかったって書いてあるね。

人間はリターンの落差よりもリスクの落差の方が、精神的な影響が受けやすい、というのは心理学にもでてくる有名な理論だ。

結果として、高給になっても日本では比例して住民税でめちゃくちゃもってかれるだけだし、転職できなくなるし、周囲から妬まれたりであんまりいいことがない。

年収1000万円だといくら税金でもってかれるか知ったら、涙とまらないと思う。


それに、高給って言ったって、そこらへんのよくわからない零細企業でも年収300万〜400万くらいなわけでしょ。

逆に売上が何千倍もあって何千億と利益を出している大企業ですら、年収高いといっても年収600万〜くらいとかで 給与はせいぜい1.5倍とか2倍くらいの落差なわけじゃん?


会社という組織に所属して働く以上、「あ、やりがいとかいらないんで、とりあえず残業代ください。」とかいったところで、たかが知れてるわけだし、そもそもそんな金銭的な価値だけにに意義をもとめるんだったら、自分でビジネスした方が効率いいと思うんだよね。

だとしたら、やっぱりその会社の「茶器」に価値を感じた方がずっと人生が充実すると思うんだわ。

逆に茶器が合わないと感じたならすぐに仕事を変えるべきであってさ。

そういう自分の会社の茶器をつくってどれだけ魅力をもってもらえることが、起業家もとい企業家の目指すべきところなんだろうなぁーと最近思うのでした。