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福島では鼻血でないかもしれないし、人は平気で住めるかもしれないけれど、住む理由がない。

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美味しんぼの福島の真実編がネット上でとても話題になっていた。

ちょっと見てみたけど、どうも「福島には人が住めない」とか、「被曝して鼻血がでる」とかそういった漫画内で人物が発言している表現が物議を醸しているらしい。

ネットの意見としては、もっぱらこれらの表現を悪質な風評被害というような形で批判する意見が多かった。



福島では放射能の影響で鼻血では出ないし、人は何事もなく住める。

そうであって欲しいと思う。

でも、実際のところ僕にはそれが本当なのかわからない。知るすべがないのだ。

もちろん科学的、調査や統計といった数値の上では全く影響がないということは言えるかもしれない。

でも、僕は放射能の専門家でもないし、自分で何か調査しているわけではないので、理解をするためには誰かの基準や判断に委ねるしかない。

結局のところ、それが科学的や統計的に正しいものだったとしても、結局はその根拠について自分が納得できるかどうか、ということでしか決めようがない。科学や統計というのはその数ある根拠となりうるものの中でも、最も比較的正しい根拠の一種であるというだけだ。

逆に自分勝手な思い込みや、偏見で、判断するのは愚かなことなのだろうか。

あながち間違いとは言い切れないな、と思う。

例えば、尿瓶(しびん)にお茶を入れることを考える。

その容器でお茶を飲んで、と言われたら、僕はとても嫌だ。

もちろんその尿瓶の中に入っている中身はただのお茶だし、

尿瓶も本来の用途に使っているものであれば、何か雑菌が容器に付着して体に悪い影響を及ぼすのかもしれないけれど、

それが新品だったらそもそもそんな心配はないし、あるいは使用済みであっても厳密に滅菌処理しているのものであればまったくそういった心配はない。

むしろその辺で使っている普通のコップの方が菌が多いのかもしれない。

でも、僕は飲まないし、同じように飲む人はすくないと思う。

そこには科学的や統計的には間違っていることは何一つない。ただの容器に入った安心安全、おいしいお茶だ。

でも、心理的には受け付けられないのだ。

そういう人に、どんなに尿瓶が消毒されていて安全か科学的なデータに示して、君は無知だ、間違っている、と言われても、それは飲む理由として納得のいくものにはならないだろう。

なぜなら実際に放射能は体に浴びすぎると死ぬ。体に悪い。そういうイメージが広く浸透しているから。

別に放射能じゃなくても、人は火に炙られたら死ぬし、水につけられても人は死ぬ。

ただ、火は触れたら火傷するし、水は顔をつけたら苦しい。少しでも体への危機を避けられるように、本能的に人の防衛本能が働くようにできている。

でも、放射能に関して言うと、それができない。味や匂いもないし、身体に何か具体的な症状がでていたら手遅れである。

結局のところ自分の理性と判断で回避するしか選択肢がない。

そういう状況下で、「科学的には正しいのかもしれないけれど、心理的に受け付けられない」と言う人を必ずしも責められる道理はないのではないかと思った。

もちろん、この問題はもっと別の方法で解決できる方法はある。

尿瓶に入ったお茶の例で考えて言えば、まず普通の容器に入ったお茶よりも、経済的な合理性があれば、選択する理由となりうる。

同じ金額で手に入るお茶より尿瓶に入ったお茶の方が安い、それならその心理的な嫌悪感を金銭的なリターンによるメリットが上回ったら飲む人は居るだろう。

でも普通の容器に入ったお茶と同じ値段だったら。選ぶ理由がない。

あるいは、砂漠で遭難し喉がカラカラに乾いた状態で、この尿瓶に入ったお茶しかないといった限定性の高いものであっても飲む人はいるだろう。

でも、現時点で福島に関してはどちらも、ない。

福島に住む経済的な利点もないし、福島でないといけない限定性もない。

心理的な嫌悪感を上回るものがない以上、選ばないのは当たり前だと思う。

逆に、この日本で、福島に住まなければならない理由があるとしたらそれはいったい何だろう??

その理由に心理的な嫌悪感やリスクを上回る何かメリットがあるのであれば、住めばいいと思うし、ないのなら住む場所を変えるべきだ。



「マグニチュード9.0の世界最大級の巨大地震」「数万人の命を奪った大津波」「世界最悪のレベル7の原子力発電所事故」という大きなクライシスが3つ重なった有史以来未曾有の事件。

未だ癒えることもない多くの爪痕が残りながらも立ち上がり、ようやくこれからもっと賛否を交えた建設的な話を進めていかなければならないのに、

何も触れないことが、是とされる。かわいそうかわいそう、頑張れ頑張れ!負けるな!負けるな!とだけ言っていることだけが正しい姿とされる。

それが本当に事態解決へと向けた正しいあり方なんだろうか。

それを国民に問うたキッカケが一介の漫画だったなんて、

やっぱりこれがこの国の限界なんだろうな。

結局そうなんだろうな。

この国はそうやっていつまでも同じ歴史を繰り返していくのだろう。

いつまでもいつまでも。