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イケダハヤトを叩いて溜飲を下げる東京の貧乏人たち

貧困論 起業論

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イケダハヤト氏が高知に居住を移すらしい。

以前、お会いしてお話をしたことがあってその際に何か新しいことをする、というようなことを言っていたような気がしたが、これかーと思った。

それにしても家族も含め高知に移住というのは中々思い切った行動である。

ネット民はどういう反応をしているのだろう、と思ったら、その取り組みを評価する一方で、やっぱり選択をあざ笑うかのようなコメントも多く見られた。

氏の新しいブログのタイトル「まだ東京で消耗しているの?」というタイトルもそれに拍車をかけているのだろう。

単なる生活拠点を変更するだけでなく、あえて身を持って東京至上主義に一石を投じるあたり、氏の哲学を感じる。


世界に類を見ない満員電車や、高層ビル、そして世界最大の都市圏メトロボリス東京。

そこはこの国の文化と経済の発信地である一方で、どこへいっても雑多な人混みで溢れ、人と人の温かいつながりもない無機質な都市である。

そんな東京での生活に消耗を感じ20代も終盤の段階で、皆様はまだ消耗してるんですか笑? 私は一足お先に。と、自然が溢れ、人と人の温かいつながりを感じられる地方の田舎に身を投じる。

まさに、ネット住人のマジョリティを占める東京民にとっては、この国に蔓延する東京至上主義にツバを吐きかける暴虐行為にも映る所業である。

僕は氏の行動に、ふと考えさせられることがあった。

このような話の賛否について考えるときの前提条件にあるのは東京に住むのは地方よりコストが高い。という共通認識である。

確かに東京は家賃が高い。僕はそこそこの地方都市の出身であるが同じ家賃相場であれば、かなり良い条件の部屋に住めるのは間違いない。

だが、それくらいしか東京と地方の明確に金銭面での違いはないのではないかと思う。

地方は物価が安いとかいう話があるがそれは間違いで実際は、東京が持つ規模の経済性のメリットの方が圧倒的に大きいため、実は物価は東京の方が安かったりする。むしろそれどころかよくお世話になったりするチェーン店の価格なんかは、給与水準が違うのに価格なのかは東京と同じなので、実質的には東京より割高になったりすることも多い。

これが何を意味するか。

そう、田舎が安いのは物価ではなくて、賃金なのである。

地方ではお金を得るということが難しい。のだ

当たり前のことに思えるが、実はこれはとても本質的なことだと思っている。



経営者であっても、サラリーマンであっても、ビジネスに携わる人たちの最後のゴールはなんだろうか?

それは、突き詰めていくと「リタイア」である。


自分が現役であれば、お金を稼ぐことはそう難しいことではない。しかし、人はいずれ老いる。働きに見合う、報酬がいずれ非釣り合いになる時が必ずくる。

そのようなときに自分は厳しいビジネスの現場第一線から退き、余暇や自分の好きなことをゆっくりと楽しむ。そのときに備えて、ビジネスに携わる人間はまだ腕をふるうことのできる現役時からその準備をするのである。経営者であればそれは株式や投資といった資本の仕組みであるし、サラリーマンであればそれは年金や貯蓄といった仕組みである。

それらがあるからこそ、自分が第一線で腕をふるうことができなくなっても利益を得ることができるのである。

ただ、その仕組みは実は非常に不安定である。

経営者の立場であっても、設立から10年存続できる会社は数%と言われているし、サラリーマンの立場であっても、年金の支給年齢がいつのまにか75歳とかふざけたことになりそうである。

結局生きている限りリスクからは逃げられない。だからいざというときのために少しでも金銭的な安定を得るために人はビジネスを求めその可能性が高い場所にいくのである。

そして、ゼロベースで見た時にその可能性が最も高いのがこの国では東京という場所なのである。


つまるところ、東京に住む「消耗」の対価として得られるのは「無限の可能性」である。

結局、東京とは突き詰めれば未だ「リタイア」できない人たちが集まる貧乏人の街なのである。

だから、東京から離れられて、実家や土地といった何ら基盤もない未知の田舎で好きな生活をするというのはある意味「あがった」人たちなのだ。


氏の取り組みはそういう意味で非常に画期的な取り組みだと思う。

ビジネスの成功によるリタイアではなく、ビジネスとリタイアの並行である。

よく考えたら通信環境や電子機器が発達したこのご時世に仕事をするのに場所にこだわる理由は少しずつなくなってきている。いやそもそも本来そうあるべきなのである。

特にブログを書く、という行為においては、それが都会で書かれたものであろうが田舎でかかれたものであろうが、まったく代わりがない。

その上ブログというのが画期的なのはストック的な仕組みをもっているということだ。例えその記事が1日1人しか読まれなかったとしても、そのような記事が1万個あれば1日に1万PVである。

さらにすごいことに、こういうサイクルがあれば後はGoogle様が広告出稿の仕組みをすべて勝手に自動化してくれているのでまさに毎月年金のようにお金を振り込んでくれるのである。それも75歳になってからとかではなく、来月からである。

さしずめブログ年金とでも言うべきだろか。

もう一度書くけれど、ビジネスに関わるもののすべてのゴールは、リタイア、である。

これは自分が手を動かして働かなくても、充分なお金が入ってくる仕組みの構築が完成してはじめてできることである。

あなたがリタイアしてしたいことは?

僕はどこか素敵な街や国に行ってその場所に住んで、其の場所の美味しいごはんを食べて、新しい発見を見つけたり、自分が好きなことをしてのんびり生活をしたい。

それを今しないのは、それが単なる「消費」でしかなく、消費を補えるだけのビジネスの仕組みがないからだ。

でも、それが「消費」でなく「投資」に変わったとしたら、どうだろう。

その場所固有での経験や自分の洞察をブログに書いて、それが収益に結びつく。

さらに、投資だと考えれば、何事も行動できる。


ああ、ここはすごく良い波があるなぁ。サーフィンとかやったことがないけどやったら気持ちいいんだろうなぁ。初心者でできるかなぁ。

やってみよう。

思ったより大変かもしれないし、面白いかもしれない。

でもその良い経験も悪い経験も含めてブログに書けば、同じようにサーフィンをしようと思った人が今後ずっとその記事を見てお金になる。こういうことをずっと繰り返していく。海のある街にあきたら、雪が降る街へ行ってスキーをするのもいいかもしれない。

もちろん、充分な資産があるのであればわざわざビジネスをしなくていいけれど、何より75歳になってしまっては気軽にサーフィンなんてのは体力的にできない。

これだとリタイアを目指す必要がない。

僕は家族も資産も何もないので其の気になれば明日からこういう生活を目指すこともできるし、その上ありがたいことに文章を書くのが好き、だ。ちょっとした時間を持て余して、年末に書いたこの記事はさくっと1600はてブを記録して今でも検索流入が多く、このブログは月に数万円くらい収入が入ってくる。こういうのをいくつも書いていけば年金くらいになるのかもしれない。

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「美味しい物は高い。不味いものは安い。」資本主義の常にのっとったごくごく一般的な法則だと思います。いい食材やいい料理にはお金がかかるからです。ところが、世の中に...

そして、ブログを書くのが場所を問わないということは、東京でもブログは書けてしまうということでもある。

今は上野に住んでいるので、とりあえずその利を活かすべく勢い余ってブログを作った。

Ueno.TV


ただ、今の僕の本業は起業家であり世界を再定義するという無限の可能性に賭ける貧乏人なので東京はまだ離れられない。

でも無限の可能性に賭けてもリターンが高々しれてるものになるんだとしたら、ただ消耗している理由はないかも。しれない。

そして、氏を叩く多くの人々も消耗に見合うだけの、無限の可能性のメリットが享受できてないのなら、あながち滑稽なのは氏ではなく自分自身であろう。




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