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だいたい2年で人間関係や人生が消滅していく件

週末に友人の結婚式があった。

中・高・大と一緒で、大学時代は疎遠になったものの高校時代は一緒にテニスの部活でダブルスを組んだり、バンドを組んで文化祭で演奏したり、と結構いろいろなことをした親友であった。   と思っている。

人間関係が広い友人だったので、結婚式には多くの中高時代の級友が集まった。

いや、ほんと懐かしいなぁ。それにしてもおめでたい!って感情でいっぱいになるかと思ったら、自分の心の奥底にあった多くを占める感情はなんだか会いたくないなぁ、だった。

その感情が自分の心理状態を締めていることに気がついて、僕ははたと確信してしまった。



僕は、一定の期間、約2年間で人間関係もそして人生が消滅している。
 


おぼろげながら感じていたことに、ついに規則性と真理を見出してしまった。ちょっとショックが強くて、ここしばらく不眠で眠れていない。何も考えないようにぶっ続けで飲んでみたり、ぶっ続けでつまらないゲームで時間を忘却してみたり。

消滅といっても金を借りたまま消えたとか、ひどいケンカ別れしたとか、嫌われたとかそういう絵に描いた不義理をしているわけではない。気がついたら自分の意識の内から存在がきれいさっぱり消えているのだ。そこには無があるだけ。





ヒカルの碁という少年漫画がある。


成長が主たるテーマである少年マンガの中でも、このマンガはちょっと異質なくらいシビアで、主人公のヒカルは囲碁が強くなるにつれ彼の周りを囲む人間はこれでもかというくらいどんどん入れ変わって消えて行く。成長している人というのは自身の変化にあわせて周りの人間を切り捨てていく。いや、切り捨てざるを得ないと言うべきなのだろうか。小さいときの服のサイズがすぐに着れなくなって捨てるしかなくなってしまうように、精神も同じように着れなくなっていく。同じ精神でいようとしたら、それは共に同じ早さで成長するか、自分が成長をやめるかしかない。そういう成長するということの本質さそしてそれが持つ残酷な一面がこの漫画では描かれている。



果たして自分は成長したのだろうか。 

いや、あるいは逆で置いて行かれたのだろうか。


否。自分は「成長しているのではなくて、自我だけが変化している。」のだ。

これは一見、成長しているように見えるが決して成長ではない。

成長というのは同じ測定基準、同じ単位で一定の周期をおいて初めて、成長と定義される。

測定基準、ルール自体が変わってしまうのは、成長ではないのだ。

測定基準やルール自体を変えてしまうのだから、定量自体が同じであっても、それは増えているようにも減っているようにもどうとでも変えられてしまう。

そう。醜い自分の本質に目を背け、覆い隠すように前提条件を塗り替えてさも変化しているかのように振る舞う・・・

消滅したのは人間関係でも人生じゃなくて、自分自身だった。


そしてそれに気がつくと同時に、自分の人生のあらゆる部分がこのドクトリンで染め上げられていることに気がついて、さらに衝撃を受けた。


自分には持って生まれた才能もそれを補う努力の部分もない空っぽなのだ。

人生を貫く自己の割合が少なすぎるよ。

2年間かろうじて出がらしになるギリギリくらいの分量を2年間できれいに使い切るように出して行く事で、多少それっぽくふるまうことができるだけの能力。

いつの時代の自分も中身がない。見かけだけ、表面だけ、形だけ。

すべての時代の成果物にもその哲学が流れちゃってる。爪甘すぎるよ。

2年間だけ存在できる程度の能力。2年間の総量を超えてしまった自我は崩壊していく。その前に幕引きしなきゃ。

冒頭でかつて親友や盟友に会いたくない、というのはもはやそのときの自我をもっていなかったのだろう。プラスでもマイナスでもそれが、1や100といった一定の変化がでるくらいならゼロで無限大であることに、意義を感じている。

つまるところ僕には一貫した自己がいない。

自分探しではなくて、自分放棄の繰り返しで人生を過ごしている。

何かを追い求めているようで、何もを追い求めていない。

それは2年間だけの自我を存続させる大義名分。



この2年はどうだった? うーんやっぱりこの自我はイマイチだったね。結果見たい?

いや、いいよ。どうせ新しくなっちゃうしね。

そっか。じゃあもうそろそろお別れかな。ううん。ま、でも、この自我では生きて行けないことがわかったんだから、それだけでも価値があったよ。ま、わたしが死んでも代わりはいるものってか笑


そしてまるで脱皮の皮のようにあるときふっと消えてしまう。それに合わせて前の皮でつながっていた人間関係も意識の中で一緒に消え去ってしまう。

一応、かろうじて社会的な営みを維持できるくらい程度の最低限の社会性や価値観を持った部分だけは残っているけれどそこにはプラスもマイナスの感情はない。ただ前の自我から引き継がれたことを事務的にこなすだけ。

この自我も消えていくんだったら、それでも残って過去の自我を統合しているお前はいったい誰なんだよ。

ねぇ、もしかしてほんとにお前が俺の正体なの?? 

だったらちょっと中身なさすぎんだろ。

ああそうか。こうやって文章を書いているときがそうなの??

そっか。最近よく死ねって脳内でフラッシュバックしてるのは、お前が言ってるからか。

そうだよね。もう今のもそろそろ2年たつもんね。

ああ、ごめんね。わけがわかんないよね。

今回気がついちゃったし、どうしていいかわかんないよ。でもそうなってるんだから仕方ないよね。

とりあえずここに書き残しておく。