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ハードウェアスタートアップは佐村河内と小保方の夢を見るか。

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スタートアップだとかなんだとか、はやり廃りが激しいこの業界では、どうも今年のテーマはウェアラブルとかIoTとかそういうハードウェア系のベンチャーらしい。

ものづくりというとトヨタやらソニーやらまさに日本を代表する燦々と輝く世界的企業がかつてそうであったように、まるで日本のお家芸かと思いきや、

実は現在世界でおこりつつある一大ムーブメントのこの領域に関しては、まだまだ日本は世界に遅れをとっているというかもはや周回遅れだ。

その理由はいくつかあると思うが、僕は日本がまだ旧来の「ものづくり」的な思考から脱却できてないからだと思っている。



物をつくるメーカーというビジネスは、そもそも論として実はもの凄い不利なビジネスモデルである。

お金を用意する、企画を考える、プロトタイプをつくる、量産化する、在庫を持つ、広告をする、お店に卸す、カスタマーサポートをする、お客さんからお金を貰う

といったかたちで川上から川下までの工程が物理的にも時間的にも長過ぎるし、どこかの過程でひとつでもほころぶと即破綻するくらいリスクが高い上に、流通や小売りが絡む分利益も薄い。


ウェブとかアプリはアジャイルとかリーンだとか何だとか言えるが、ハードウェアはもうナイアガラの滝ように悠然と立ちふさがる圧倒的ウォーターフォールなのである。

メーカー的なビジネスをやっている人からみたら、ソシャゲの利益率とか見たら、もう泣きながら笑うしかないと思う。

それに、ものづくりと言っても、物そのもの以外のところひとつとっても日本はキチガイだ。

例えば梱包というところだって、僕はたまにamazonで、中古本とかを買うが、ものすごいごっついプチプチで巻かれてて送られてきて、いやいやプチプチいらないだろww とか思うけれど、つまりこの国ではそれがあたりまえでそうでもしないとクレームが入るってことだし、あるいは、少しでも初期不良やわかりづらい点があると、サポートの電話は鳴りっぱなしだ。

本質的には、リスクの固まりみたいなビジネスで、まともに考えたら絶対に手をだしてはいけないビジネスなのである。

ところが、そのようなハードウェアを主戦場とするスタートアップがなぜ注目を浴びているか。


その答えは「クラウドファンディング」である。

クラウドファンディングは、わからない人はググってくれ。

まぁ、ようするに簡単に言うと、BtoCのハードウェアにおいて事前予約によってお客からの「前金入金」を実現し、ウォーターフォールの最後の最後の部分、今の今まで絶対に溯れない部分を、一番最初に持ってきた、革命的な現象なのである。

売上げのお金が最初に入る以上、極論としては、そこから後は滝をどう下っても破綻しないのだ。


これが何を意味するか。


僕は、過去に証券業界にいたのでピンときた。


このフィールドで求められる戦い方は「ものづくり」ではなく、「願望づくり」の戦い方なのだ。

自分がつくりたいものではなく、投資家が見たい願望を見せて上げるのだ。

この発想は結構、残酷だったりする。

端的に言って、ものづくりとか言ってなんとかの科学の付録みたいな、しょーもないゴミをつくれるようになって動いた!光った!といっても商業的には何の利益にもならない。

ゴミをつくったところで、達成感を得て、多少の構造や知識はつくかもしれないが、残念なことに消費者はゴミを必要としないしゴミにお金を払わないからだ。

そんなことをしてるヒマがあるなら、Photoshopで少しでも綺麗に商品の写真を加工スキルを身につけたり、バイラルメディアさながらの煽りタイトルをかけるライティング能力を身につけた方がこの世界の戦い方ではずっと有益ということである。

大事なのは中身ではなく、投資家が胸躍らすご立派な目論見書を書き上げるということだ。

そして、恐ろしい事に、未だこの世界ではこの目論見書を審査する機関やルールというのは存在せず各プレイヤーの自主性に任せられているということだ。


願望づくりの世界で一番重要なのは、ストーリーである。

特に日本は、このストーリーというのがとても大好きだ。

無名の天才音楽家が、その専門的な知識やノウハウをひねり出して書き上げた楽曲には見向きもしない。

ところが、全盲の音楽家が発作と戦いながら、曲を書き上げたと聞くと、飛びついて持て囃す。

別にその曲がどうとかはどうでもいいのだ。だから、音楽家として商業的に成功したければ、音楽の知識なんか身につけるより、音楽家としてより魅力的に見えるストーリーを組み立てることに腐心すべきなのだ。でもそれは音楽が好きな人にとっては堪え難い苦痛だと思う。

こういう、ものづくりをそもそもを否定する残酷な発想は本当にものをつくるのが好きな人からは生まれない。

そして実際にほんとうにそれをつくれる人間も、願望に憧れてやってきた本物につくってもらえばいいのだ。

そして、そのために重要な能力はないものをさもあるように言い切る能力である。

ナントカ細胞だってあると言い切ったら、存在するのだ。

多少外野にごちゃごちゃ言われて犠牲がでようが、気にする必要はない。

なにかあったら、彼女のようにこう叫ぶんだ。

「製品は、ありまぁす。」と。


とまぁ、結局のところ、この「願望づくり」の世界では、もっとも利益に直結するファクターはトップの「倫理観」であり、それが意図的であれ、無意識なものであれ、倫理観が歪めば歪むほど、利益が上がりやすいという恐ろしい構造を内包している。


早晩、その矛盾は、まるでババ抜きのジョーカーのように存在し、どこかで火を噴き、純白な人々を飲み込むであろう。


さて、どうすればいいんでしょうね。。。