氷水をかぶる有益性云々とか言わずに、自分がそういう社会的な地位も交友関係も信頼もない現実が引き立って惨めにも嫉妬してるって素直に言えばいいじゃん(笑)

ここ数日僕のFacebookのフィードにはいろいろな人がバケツから氷水をかぶる動画で埋め尽くされた。

少なくとも、僕がフィードを購読しているような有名人はだいたい皆、氷水を浴びて意気揚々としている動画が流れてきたものだ。

これは何だろうと思っていると、アイス・バケツ・チャレンジと言うらしい。



アイス・バケツ・チャレンジ - Wikipedia

 バケツに入った氷水を頭からかけている様子を撮影し、それをフェイスブックやツイッターなどの交流サイトで公開する、あるいは100ドルをALS協会に寄付する、あるいはその両方を行うかを選択する。そして次にやってもらいたい人物を3人指名し、指名された人物は24時間以内にいずれかの方法を選択する。この運動は全米で大きな反響を呼び、各界の著名人も積極的にこの運動に関わっている。フェイスブックCEOマーク・ザッカーバーグより指名されたマイクロソフト元会長ビル・ゲイツはこのために氷水をかぶる装置を制作、それを使い氷水をかぶる様子を動画に公開した。日本国内でも、孫正義や山中伸弥、小山薫堂などが氷水をかぶるなど、広がりを見せている。


ALSという病気は、僕はこの運動を通じて初めて存在を知ったし、募金額も従前に比べるとだいぶ増えているというので、運動を通じて病気への認知を図るという意味では非常に大きな貢献を果たした運動ではないだろうか。だが、その一方で氷水をかぶることに果たして本当に意味があるのかとか、チャリティを離れた売名行為ではないかとかそういう批判も多くあがっている。

どうしてこうしてこの運動がこんなにもムーブメントになったかを考えてみると、この「次に3人を指名する」というのが、非常に重要な点だと思った。

仮にあなたがこの運動を次にする相手を指名するとして、誰を指名するだろうか?

指名された方は真夏とは言え、氷水を浴びるという以上、一瞬辛い思いをするし、着替えなり何なり何らかの手間や負担が発生するし、そうでないにせよ100ドルの募金というのも、まぁ社会貢献といっても特に義理立てがないのなら、ポンと出すのはちょっと辛く思う金額である。

当然、たいした知り合いでもなければ頼まないだろうし、そもそも普段から自分の無理なお願いが聞いてもらえないようなずっと目上の人にも頼まない、また逆にあまりにも自分より目下の立場の人間に頼むというのもなんだか命令のようになってしまって逆恨みされるかもと頼みづらい。また、必ずしも氷水が浴びる必要はないにせよ代替手段として100ドルを捻出するのに苦労するような、経済状況が芳しくない人にも頼まない。

そう、この運動で次にバトンを投げるのは自分と同じくらいの立場で、こんな一方的な依頼を二つ返事で引き受けてくれるような信頼関係の構築された関係か、あるいは仮に少し抵抗感をもたれたとしても、頼まれた以上顔を潰すわけにはいかんだろう快諾してくれる、自分より少し立場が下の人間、そして、仮にできなかったとしても100ドルくらいは気前良くポンと出してくれる経済的にも豊かな人である。

これが何を意味するか。

この運動が日本で流行ったのは、フェイスブックCEOマーク・ザッカーバーグより指名されたマイクロソフト元会長ビル・ゲイツが氷水を被ったという報が報じられて以降に急激に運動が活発になった気がする。

時価総額何十兆円という企業を率いる冷酷で豪腕CEOや、世界に名だたる著名人が、普段の姿からはまるで想像できないくらいにまるで子供のように無邪気な姿で氷水をあびて揚々としている動画をみるのは、見ているこちらもなんだか朗らかな気分になる。

そして、そういう人たちから渡されて行く善意のバトンが、回り回って自分にも回ってくる、

そこにあるのは、今まで聞いた事もないALSという病気のために自分も一肌脱ごうという感情よりも、社会的な地位が高く交友関係も信頼もある世界に名だたる著名人たちが産み起こしたムーブメントのネットワークの一端が少しずつ降りてきて、自分も認められ加えられたという感情である。

そして、その動画を公開して、多くの人がいいね!と賛同してくれ、同じく次へと指名した人間も自分の顔を立てて、同じように氷水をあびてくれる、そんな自分の人徳の再確認である。


当たり前だが、何のとりえもない無名の貧乏人が「いいね!」と楽しんでくれるような人間もいるわけでもなく、氷水をあびたところで、それはチャリティでもなんでもなくただの罰ゲームでしかない。そこに漂うのはただの悲壮感だけだ。

 チャリティの名を借りた偽善や売名行為なんて、今に始まったことではないし、氷水をかぶるということがこのALSとどう関係があるのかも知らないが、実際にそういう団体の設立主旨であり、活動のひとつの目的である募金というところでお金が集まっているのなら、それは充分目的を果たしていると言えるだろう。


そういったチャリティに行動でも金銭の立場でも参加することもなく、氷水をあびることへの有益性に疑問を呈するのだとしたら、

そこにはただ君が、まだこの善意のバトンを渡されないくらいに、社会的地位も、人間関係も、信頼のある人間関係も、その上、金すらもないと思われているという惨めな現実がどこまでも、どこまでも広がっているだけだ。




ちなみにお察しの通り、僕のところには、まだ氷水をかぶるバトンは回ってきてないですね。




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