パクられたヤツがマーケティングを怠った無能なんだろ。後からごちゃごちゃ言っても結局負け組か貧乏人が僻んでるようにしか見えないわ。
イケダハヤト氏の記事がネットで話題になっていた。
コンテンツを「パクる」のは、なぜいけないの?教えておじいさん! : まだ東京で消耗してるの? http://www.ikedahayato.com/20140901/12071687.html
イケダハヤト氏のエントリはいつも核心をついていて、僕はこの記事に大変共感した。要約するとこうだ。
「そもそもデジタルデータなんて容易にコピーが可能なのでどうやってもパクリは防ぎようがない。だとしたらビジネスモデルの発想の転換でパクられることがかえって利益に結びつく構造にかえればいいし、そもそも著作権侵害は親告罪で当事者からの申告があって初めて被害となるんだから、著作権を有する人間から何か起訴されて抗争したり、有罪判決うけたわけならまだしも、何の権利者でもなんでもないのに勝手に正義の味方気取りで好き勝手に人をディスってるあなたこそ何様のつもりなん笑??」
実に合理的で的を得た意見だなぁと思った。
イケダハヤト氏の疑問に答える形で、全く当事者でない部外者がディスってる理由を考えてみよう。
そもそもパクリかパクリじゃないとか、引用したとかオマージュだとか、何とか言うけれどじゃあその境目の領域って何?
皆が独創的だとかユニークで革命的だと思っているもののほとんどは模倣者だ。
Googleがもスティーブジョブスもビルゲイツもみんなコピーの組み合わせ。
Googleはヤフーをパクってビジネスモデルは他者のサービスを買収してパクった。WindowsはMacをパクった。Macはパロアルト研究所の発明をパクった。独創的でユニークであることが始まりであるかのような任天堂だって始まりはアタリ社をパクった数十社の1社の花札メーカーだ。
いやいや、それとこれは話が違うでしょ、パクリじゃないでしょ。
彼らは既存のアイディアにしっかりと自分の着想や苦労をして、付加価値を付けて〜云々
じゃあ、聞くけどそのパクったのか参考にしたのかとか、その境目って何?? 具体的にどこが境目なの?どこからがパクリとかそうじゃないとかそれを決めるのは誰? あとじゃあ逆にそもそもこの世にまだ誰も聞いた事も見た事もないようなことって何かあるの? その元ネタとやらは本当に自分脳内だけでつくった未だかつて人類が経験したことのない知見なの? ちゃうでしょ
結局自分の主観なんじゃないの?
要するにこうでしょ。
「別にそれを自分が問うたからと言って何か自分に利益があるわけではないが、労せず誰かが楽して儲けているという事実が俺は気に食わねぇ。なんかムカつく。」
実にシンプルでわかりやすい。正義面したところで結局は自分が納得する納得しないかの話しで、汗水たらして苦労をしてない人間が、のうのうと楽して利益を得るのがけしからんという、まさに日本に蔓延る老害的発想そのものであって、そのことに自分が気がついていないだけである。
思ったんだけど、そもそも論でパクるということへの価値を過小評価し過ぎというのも一理あるんじゃなかろうか。
物理的に投下した時間や労力は結果はどうであれきちんと価値として評価されるべき、そういう努力は報われなければならない的な発想に染まりきってるんじゃないか?
でも、そういうの評価されるのって、しょせん学生とかまでの狭い人生経験でだけじゃん?
言う? 実社会でさ、
いやいや、それ俺が最初に思いついてつくったんすよ。だから僕が一番えらいんですよ。え?自分はとりあえずさいしょつくったんですよ。そのあとは何かしたわけじゃないですが、でも最初にそれやったのは僕なんですよ。とかさ。
まぁ、わかるよ。自分のクリエイティビティさを認めて欲しいもんね。がんばったね。すごいって言って欲しいんだよね。
でもさ、そんな一番最初にいるチャンスがあったのにもさ、それを活かしきれないでさ、結果自分をだしにしてうまみを享受してる後塵をながめてさ、パクられたパクられた言ってる姿ってさ、資本主義の実社会だと、一番最初に自分で儲けるチャンスがあったのに、それをただひと時の自身の優越感にかまけてただ指をくわえてぼんやり甘んじてて時間を怠惰にすごして、顧客との対話を怠った無能ですって言ってるようなものじゃん。
何かを生み出す以外に、それを最適なタイミングで、最適なユーザーに向けて、最適な表現でコミュニケーションするというのは、結果として見てしまえばコロンブスの卵で楽勝のように見えるけれど、そのコロンブスの卵を最初に叩き付ける、意思決定をするための試行錯誤や情報収集のプロセスに価値があるんじゃん。大多数の人はね、誰が何かをしたかって真実はどうでもよくて、大事なのは目の前のものが自分にとって何の価値をもたらしてくれるかということなの。
何かをつくれるということは、一番はじめにそれに触れ見聞きできる機会があるということなんだから、そのことがもっとも自分にとって価値を生むスキームを考えることに腐心すべきだったんだよ。
件のイケダハヤト氏だってそうじゃん。イケダハヤトはねプロブロガーって言ってるけど、ブログが商品じゃないの。
イケダハヤトというキャラクターが商品なの。最初からそう決めてるの。
だからさ君たちがさ、こいつの文章はどうのこうのとか、やっぱりわかってない、プロブロガー(笑) とかさごちゃごちゃ言ったりしてもダメージゼロなの。
彼はねそういう物議の渦中にいて、その既成概念をぶちこわす引き金となるキッカケをつくる、というキャラクターが商品なの!
あいつは、第二のイケダハヤトだなぁとか、○○界のイケダハヤト とかって代名詞化されるブランディングをつくった時点でもう勝負が決まってるの。
はてなでドヤ顔で正論述べて、こいつの考えは間違っているとか書いて、はてな民同士でちやほやしあってアフィリエイトで小銭稼いだところで、社会から見たら、しょさんただの2バイト文字同士が傷なめあってなんかごちゃごっちゃ言うとるわなぁっていう現実はかわらないの。
氏はね、そういうイケダハヤトに登壇してほしい、とか、あのイケダハヤトが意見述べてくれる、ということが商品でね、それに価値を感じてくれる人がお客さんなの。そういう人たちが望むことをしてあげればいいの。逆に君たちはお客さんでも何でもないの。何を言ったところでしょせんただの1PVくらいにしかならない。バクテリアさん。
でもね、だからといって無下にしてるわけではないよ。わざわざパクったりディスったりまでしてくれて、自分の商品を拡散してくれてありがとう、バクテリアさんたち養分になってくれてどうもありがとう。ってきっと感謝してくれてると思うよ。
マーケティングの勝利やなぁ。
朝日新聞出版 (2014-07-18)
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