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僕は恋愛ができない。

人生論

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ここ最近何回か知り合いの社長仲間と飲みに行っていたのだけど、そこで立て続けに恋人の話になった。そして何かの縁か学生時代に付き合っていた彼女が婚約しましただのいうフィードが流れてきた。



自分は彼女ができないとか、周りが婚約とか結婚して行くので焦りを感じるとか。そういう他愛もない話だ。むかしなら冗談話が、気がつけば自分も世帯を持っていても何らおかしくない年頃になってしまった。


そういえば、自分も社会人になってから彼女がいない。


ステディな関係が維持できない。


まぁ、ビジュアル的には残念な方なのは間違いないのだけれど、学生のときは彼女がいたり、そこそこ学生なりに遊んでいたりしていたので、まったく色恋とは無縁な人生であるかと言うとそういうわけでもないと思う。


同世代はと言うと、まさに今が旬という感じで、やれ合コンがどうのこうのとか、セフレがどうのこうとかいわゆる小銭持ちの独身貴族を周囲から、白い目で見られず謳歌しているお年ごろであって、

そんな感じで体よく人生を生きていく選択肢が僕にはあったと思うのだけど、僕はそういう選択肢を選んでいない。でもそれは別に何かを選んだから片方が犠牲になったみたいな決してバーター的なものではなくて、別にどんな人生であれ、両立できるとは思うのだ。

うーんじゃあ。なんで自分には彼女とかがいないんだっけ。と考えているうちに、


「そもそも自分が異性を対等の関係に見ていないのではないか?」 という結論に至った。


何回か書いているけれど、僕はクレジットカードの審査も厳しい売れないお笑い芸人と同じポジションの起業家なわけで、配偶者とか、家族をつくるのがとても怖いと思っている。


家族を作るのが怖い。 - 拝神


それは自分と人生の接点を持つことがもしかして、相手に負担をかけてしまうのではないか、というどことなく、後ろめたさが結局自分を無意識のうちに、自分を縛っていて。自らの可能性を制限されないためにも無意識のうちに遠ざけているんだと思う。


でも、そもそも冷静になって考えてみると、色恋とかそういう行為そのもが、本来対等な関係で成り立つものであって、社会的ポジションとか理性で答えを導けるものではないのだわなぁ。

たまに、芸能人なり有名人なりなんなりで、過去の苦労時の再現VTRとかそんなんでテレビに流れてくるのあるじゃん??

とんでもなくドン底的なエピソードがでてきて、

「そんなとき彼を支えたのは奥様のなんとかさんでした・・・!」

とかなのがでてきて、

いやいや、そもそもそんな落ちぶれた人生のドン底でなんで配偶者がおるねん!!!!! ってツッコミたくなるけれども、


それは、男性が社会的にも優位をキープしなければならないという考えが、一方的なエゴであって、配偶者というのは対等な関係だという立場で考えると、男女関係なく、自分が厳しいときだからこそ、自分が逆に相手が支えるという発想や関係があって成り立つもんなんだよなぁ。と


社長というのは、難儀なポジションであって、決してお金があるわけではないのだけれども、いかんせんお金にけちくさい印象を持たれるのは野暮なので、立場上おごらざるをえなかったり気前よく振る舞うことが結構多い。

でも立場上はそうでも本音は金の大切さをなによりも感じているので、投資の費用対効果で判断してしまう自分が結構いる。

この間、先輩社長に釣れられてキャバクラとかに連れて行ってもらったのだけれども、行為のひとつひとつが金で処理できるその空間におぞましさを感じてしまった。

其の金を手に入れるためにどんなに俺が苦労してると思うとんねん!!!!!!! という感情が先行して、息抜きどころか心が痛かった

でも、これは裏返しで金がたくさん手に入れば罪悪感も消えていくのだろう。



今も、そしてこれからも僕は恋愛ができない。

多分これからも、異性は僕にとってステータスを媒介するツールでしかないし、あるいは単なる自分の社会的ステータスを証明するわかりやすいKPIかマイルストーンでしかない。


僕はやっぱり恋愛ができない。


そしてその事実、その方向にベクトルを向けないからこそ今の自分が成立しているという現実もそこには広がっていて。

僕は恋愛ができない。いや、したいとすら思ってない自分に気がついて

そしてそれを肯定する現実が節々から感じられて・・・

僕はもう、まっとうな人生に戻ることができそうもない。

強力なイデオロギーの世界に生きていて、世界を変えることが僕にとっての、存在意義。

僕はそれこそテロリストと同じようなゲリラであって、ただそのベクトルが社会をよりよくするというプラスな方向に向いているだけであって、本質はテロリストと何ひとつかわらない。

それが日本でただわかりやすい形として起業とかそういうものがあっただけで、そこにはテロリストが目的のために暴力をふるうのと根本では変わらないのだろう。


いろいろ頭が面倒になって僕はウィスキーを喉に書きこんで忘れることにした。

僕は世界を変えられると信じているし、そのための布石を着々と打っていることに何よりの価値を感じている。

それが正しいか正しくないかなんて誰にもわからない。


ただ僕は世界を変えるだけしかないし、やっぱり狂っている。