特攻といえば零戦だけど、回天のことも忘れないであげてほしい。

今年読んだマンガで衝撃を受けたマンガが「特攻の島」というマンガでした。

似たような名前で特攻の拓みたいなマンガがあったので、これも暴走族系かな、と思って敬遠してたのですが、読まないことを後悔しました。

こんなに泣けたマンガはなかったです。


みなさんは特別攻撃隊、いわゆる特攻というと、何をイメージしますか? 

飛行機が爆弾を抱えて、突っ込む神風攻撃を思い描きますよね。

ただ特別攻撃隊というのはそういった自爆攻撃をする攻撃部隊 の通称なわけで、当然飛行機以外にもあったわけですね。

その一つが回天、ざっくりいうと人間魚雷。



「めうちゃんには大量の在庫になった酸素魚雷がある」
めう「でもこれは古くて相手を狙えないからもう使えないめう……」
「そこで魚雷の真ん中を半分に切ってスペースを追加する」
めう「半分に切ってスペースを追加する」
「そのスペースに操縦席をつければめうちゃんが魚雷を操縦できるようになるんだ!」
めう「やっためう!必発必中の魚雷めう!」


みたいなギャグみたいなのを本当にやったんですよ。


結局、零戦の神風特攻隊と同じく死ぬことには変わりはないやんけ!と思うかもしれませんが、これ全然違うんですよね。

神風特攻隊、いわゆる零戦っていうのは飛行機なんですよね。

発想としては、飛行機でドンパチ打ち合いをやるのはリソースが足りへんから、もうあわよくばそのまま突っ込んでまえっていう、既存の戦闘機のオペレーションの延長上にあるわけです。

まぁ、戦闘機に弾がついてるか爆弾がくくりつけられてるかだけの違いなので、練習も、今までの延長上なわけで、あんまり実感なかったと思うんですよね。

俺って一応特攻して死ぬことになってるけど、急遽弾薬とか機体が補充されたりすると、
「はい! おまえの特攻は取りやめ! 普通にいけ! 」みたいなこともあるかもー、って思って訓練してた人もいると思うんですよね。


でも、回天は違うんですよね。なんせもともと魚雷を分解して、それを無理やり潜水艦にしたわけですからね。潜水艦ですらない。

最初からもう死が想定されている、全然新しい乗り物なんです。

やばくないですか? 戦闘機とかはまだ離発着とか、操縦とかって既存のシステムとかノウハウで運営されてるんですけど、

回天はもう最初からいかに突っ込んで死ぬか専門ですよ。そういうのをずっとひたすら毎日練習してるわけです。

今も、イスラム国とか自爆攻撃とかやってますけど、所詮やつらはトラックとかですからね。次元が違いますよ。


しかも、神風特攻隊ってまぁ、老害みたいなおっさんがいたいけな若者をいいように突っ込ませた、戦争の全体主義の悲劇の代名詞になってますけど、回天って誰がつくったと思います?

これ当時22歳の黒木 博司と21歳の仁科 関夫中尉です。

22歳!! 21歳!!

で、最初いやいやさすがに、これはあかんやろ・・・って軍上層部からドン引きされたんだけど、彼ら鬼プレゼンで実現しましたからね。新卒みたいな年齢ですが。

ちなみにスティーブジョブズがアップルつくったのが21歳ですからね。

21歳で世界を変える、パーソナルコンピューターをつくるってのも衝撃ですが、

同じ年齢で、つくったのが、天を回らし戦局を逆転させる、究極の人間兵器、回天。

すさまじいですよね。なんすかこの若手。やばすぎでしょ


で、特攻の島だと、かなり史実に近い形でこういったエピソードから、若者の死をうけいれるまでの葛藤までが、緻密な描写で表現されているんですよね。実名で登場人物とか舞台が出てきます。


それで、特攻の島と呼ばれる、大津島で回天の訓練をしながらいろいろ葛藤するわけです。


もちろんね、同じ死ぬにしても自分ひとりの命を犠牲にして、そりゃ敵の空母とか戦艦が沈んだら大功績なので、死にがいもあるんですけどね。

実際、全然無理なんですよ。

ほら、例えばあなた目と耳をつぶって5km先の目的地までぴったり歩いていってください、って言われて歩けます? 無理ですよね? 地上ですらそういう状態なのに、それを海中でやるわけですよ。

もう全然当たりっこないわけです。

あ、こりゃ全然無理だな、みたいなことみんな練習してて気がついちゃうんですよね。しかも、じゃあその回天をどうやって敵近くまで運んでくかっていうと、通常の潜水艦に乗せるわけですよ。潜水艦on潜水艦なわけで、めちゃくちゃ図体がでかい。当然普通に目的地につくまでもバンバン沈められたりする。実際、ほとんどが戦艦玉砕とか空母撃沈とかじゃなくて、普通に犬死にとか、輸送中でまとめて沈められたみたいな。でもその現実を認めたくないからみんな大本営発表とかで、戦艦撃沈、空母撃沈とかやるわけです。発想が必中の人間魚雷ですからね。

実際、戦後の正式な戦果を見ると、えっあれだけ命張ってこれだけ?! って感じですよ。

そんな、死を受け入れつつも現実との乖離に苦しむ主人公たちが、いろいろ向き合うなかでいろんなことをいうんですね。

この言葉にガツッと胸をえぐられるような衝撃をうけました。


「俺は死が怖い…
理由は死に意味を見つけられないからだ…

もしも死ぬ事に何か意味を見いだせれば…
死は単なる恐怖ではないはずだ…

そして死に意味を見つけられるのは…
生きる意味を見つけられた人間だけなのかも知れない…」


「俺は誰かのためには死なない。俺は俺のために生きる。真に生きることができたとき、生と死は同義だ。」


死を心の底から見つめ切った人間の言葉の一つ一つには重みがありますよね。

バクバグ心臓がえぐられるくらい衝撃でした。

今の日本では死というのは、どこか遠い世界のような気がするんだけど、人は必ず死ぬんですよね。

じゃあ、死んだらどうなるの?っていうことは全人類が誰もたどり着いてない結論なんですよ。

そういうやばいエンディングが自分の先に待ち受けているのが確定の中で、どう生きるのか、それが果たして80年先なのか、1年先なのか、それとも明日なのか、自分も誰もわかんないわけです。

普通はそういうの、わかんないですよね。気が付いたら死んだ。みたいな。

でも、こうやって自分は確実に死ぬ、それも他でもない自分自身の意志で、ってそれを知った上で生きる人生はいったいどのような色を帯びるのでしょうか。

死を眼前に控えた人間が見る景色は果たして一緒なのだろうか? 果たしてその景色を自分自身がみたときにこの世界は何か変わるのか。

スティーブジョブズもね、伝説のスピーチで言葉を残してるんですよね。

33年間毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」って。


まさにこれ

「死が怖いのは理由は死に意味を見つけられないから、もしも死ぬ事に何か意味を見いだせれば…死は単なる恐怖ではないはずだ…そして死に意味を見つけられるのは…生きる意味を見つけられた人間だけなのかも知れない。真に生きることができたとき、生と死は同義だ。」


って言葉そのものなんですよね。


しびれますよね。

死と生は同義。死ぬ意味を見つけた人間は生きる意味を見つけた人間と同じなんですよ。

生きる目的がないのだとしたら、死ぬ目的を見つける、そうすることで生きる目的もはっきりと定まる。

生と死は、相反する対の概念ではなく、一緒。

よく失敗しても命までは取られない、っていって起業なんかのリスクを低くいう人いるんですが、それじゃダメなんですよね。

そこで死ぬ理由を見つけたとき、生きる目的も決まるんです。

あなたの死ぬ理由はなんですか?


特攻の島1
特攻の島1
posted with amazlet at 15.12.21
佐藤漫画製作所/漫画onweb (2013-06-14)