母親にインスタグラムをやらせよう。

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note.mu



こんな記事が話題になって、案の定はてな民に寄ってたかって言われていたので、インターネッツの世界は罪深いですね。と思って眺めていた。




ただ、僕は作者の発言は一理あると思っている。


自分のよく使うSNS空間に属性が異なる人間がいるといううのはとても不愉快だからだ、


例えば、世代が違えどいえど家族だとしてもどうだろう?


批判的なコメントを残している多くの輩も


「そうだね。インターネッツの世界は自由だし、たくさんの人にアクセスしてもらって読者が増えると嬉しいよね!じゃああなたがやっているこのはてなブロクやはてなブックマークも、自分の母親に見てもらおうね!!あ、Twitterも見せてあげたら近況がわかって喜ぶね!! あ、まだ、家族は知らないんだね!! じゃあ僕が代わりにあなたのお母さんとお父さんにURL送っておいてあげるよ!! ITが苦手なお母さんがいつでも読めるようにスマフォのお気に入りにも入れて、実家の共用PCもトップページになるようにしておくね! 家族だし毎日見てくれるよ〜! え?そんなことやめてくれ?? どうして?? あなた何か悪いことしてるわけじゃないんでしょ?なにがいけないの?? 人に見てもらいたいからわざわざ公開してるんじゃないの??おかしくない??」


みたいな感じになると思う。


家族ですらこれなのだから、いわんやたいした関係もない薄いつながりのおっさんやおばさんをやって感じだ。
 

そんな感じで、Instagramも同じように女性を中心にひとつの中心核になるSNSになっているので、そんななかに異なる存在が入ってくることに対する嫌悪感はわからなくもない。


Facebook、Twitter、blog、instagram etc....


いわゆるSNSにはサービスによってそれぞれ様々な世界観があり、自分が「素」になれる空間は人によって違うのだから、それを万人も同じカルチャーを押し付けようとするのはやっぱり間違っているのだろう。


ただ、あらゆるSNSサービスの中で、最も全世代的に通じるものがあるのだとしたら僕はそれはInstagramだと思っている。


もし、あなたがInstagramに家族や知人にも見せられないような隠れた自分をさらけ出すようなドヘビーに使っているユーザーでない限り、自分の母親にInstagramを教えてあげるのを、オススメしたい。


私の母親は、機種変の際に店員に流されてスマートフォンを買ったものの、ぶっちゃけiPhoneかAndroidの違いもよくわかっておらず、アプリのダウンロード方法もわからず、誰かがナビしてあげないとうまく使えないくらいに機械音痴で情報弱者だった。


普段東京で最新のITガジェットと情報にまみれた生活を送っていてその光景を不憫に思った私は、帰省した際に普段家にいることの多い母にはiPadが良いだろうとiPadを贈り、様々なアプリをダウンロードしてあげた。


これは、今流行っている定番アプリだから使ってね。みんな使ってて当たり前だから。使い方はこうだよ。


そして東京に戻った。


一年たってまた帰省したときに、母親が一番使っていたのはinstagramだった。


facebookはそもそも今の年になって今更知人の家族ばっかが出てくる、写真なんかみたところで、何も楽しくないし、twitterはやろうにも老眼で字が読めない。ゲームや通販もお金がかかりそうで怖い。よくわからない。

ただ、Instagramだけは違った。

母は言った。



「母さんね、このインスタグラムっていうのが大好きなんよ。自分で写真を撮らなくてもええんよ。インスタグラム見てると、いつまでも世界の綺麗な画像がずっと流れてきて、まるで世界中を旅してる気持ちになれるんよ。家でひとりでいること忘れられるんよ。」



家族がみな独立していなくなり、一人さみしく残されたリビングで母はそう笑顔を見せるのだった。



母の投稿しているInstagramには室内の光景が多かった。

いろいろと創意工夫をしているのだろうがいかんせん使っているスマートフォンがもう何世代も前のものなので、素人目にの僕が見ても、カクついたひどい画質のものだった。また、外でスマートフォンを持って写真を撮ってまわるというのも慣れていないのだろう。


今年、僕は母親にデジタルカメラを送った。

一眼レフではないにせよ最新のコンデジだと2万もあれば、一眼レフのような画像が取れる機種が手に入る。しかもWi-Fi転送機能もついて。





PCもろくに使いこなせない母親だったけれど、デジタルカメラで撮った画像をiPadに転送してinstagramに投稿するのはできた。


母親のInstagramには今まで見たこともない綺麗な風景や息を呑む自然の写真が並び始めた。


そしてまた普段Instagramを使わない僕がたまに思い立ってInstagramに投稿するといいね!を決まって押すのは母だ。



「これどこで撮った写真なん〜? 今度教えてな〜(^o^)」


僕が東京で見ている景色を母親は知らない。そしてまた母が実家で見ている景色も僕は知らない。


文字や文化は世代を超えて共有することは難しいけれど、感性だけは世代や時間を超えて理解できる。


このいいね!のひとつひとつがいつの日かかけがいのない思い出になるのだろうか。


今からでも遅くない。


あなたにまだ母がいるのなら、母にインスタグラムをやらせよう。