若者や学生が起業します、と言うとたいした身分でもないモブがここぞとばかりにこれみよがしに叩く様はもはや完成された様式美で感動すら覚える。
彼らの言い分はこうだ、無知で何も知らない若者が騙されている、無様な醜態を晒す前にひとつお灸のひとつでも添えてやろう、と。
だが心配しないでほしい。揃いも揃って平日の昼間から寄ってたかってこんなところで偉そうなコメントをしているような人たちが果たしてありがたい訓示を垂れれるほどの成功者である可能性とはどれほどのものだろうか?
答えは「ゼロ」だ。
もう一度言おう。
答えは「ゼロ」、だ。
給料が低い、上司が悪い、会社が悪い、国が悪い、そしておそれおおくも日本しねなどとのたまい、自分の無能さを棚にあげ、インターネットに不平不満を連ねては、平日の真っ昼間から若者を見下しては、万能感を感じるおっさんたちの人生が成功どころが無様に失敗しているかであることは疑いようもない自明の理だ。
何者にもなれなかったどうでもいいモブの発言にきをとめる必要はいっさいない。
そして彼らはまたこうも言う。
大学を中退が云々、新卒が云々。
はっきり言ってまじでどうでもいい。
そもそもどうせ卒業したところでたいした学歴でもないFランなのだから、被害が少ない内にさっさと辞めた方がいい。
Fランを卒業したところで、何も考えずに高い金を払ってFランに4年間もいたというバカのレッテルを貼られて恥の重ね塗りでしかない。
だったら主体的に自分の意思で勝ち取ったユニークな人生経験の方が100倍マシだ。
何かを続けることよりも、何かを辞めることの方がとても難しい。そして、それを自分自身の言葉で語れる人間は、本当に魅力的だと思わないか?
その上新卒キップだなんだとか言ったところで、F ランを出たところでせいぜい地元の誰も名前も知らないようなシステム開発会社に入ってSEか何かで過重労働に追われては夜な夜なはてなでブラック企業を叩いて溜飲をさげるしょぼくれた人生を送るのが関の山なのだから、そんな3等列車の切符など自ら破り捨てろ。
あたりまえだが、何かを手に入れるなら、何かを捨てなければならない。
まずは副業からとかいうけれど、そんなものは絶対にダメだ。
例えば、どうしようもないくらいの美人と付き合いたいみたいになったときに、
そりゃ自分のレベルを考えたから無理かもしれないけれど、それでも覚悟を決めて、
あなただけが好きです。他には何もいりません。目もくれません。だからどうか自分と付き合ってほしいという熱意こそが、たったひとつの可能性の一縷の望みになりうるだろう。
それを
「なんつーかたぶん美人は無理かもなんで、一応ダメ元でワンチャンいけるかトライしますけど、リスクをヘッジするためにブス目の女も付き合えるようにキープしてやってみます。」
などと言っている人間に美人が振り向くことがあるだろうか。
可能性はゼロ、だ。
ところが、なぜかそれが起業だのになった瞬間、そのようなリスクを分散などということが正しいかのようにまかり通ると思うのか不思議である。それも多くの人間がブスともロクに付き合えてもいないような有様なのに。
たかだか月に片手間で数万円程度の収益を得ることが人生のリスクのヘッジだと言うのなら、しょせんそいつはその程度の人生でしかないということだ。だったら本業に打ち込んだ方が100倍増しだ。
そしてなにより、どんなに優秀だろうと、覚悟を決めた人間には勝てるはずがない。
大事なのは「覚悟」だ。もう一度言う。
「覚悟」なんだ。
できるか、できないかじゃない。やるか、やらないで世界を変えろ。
覚悟を決めない人間の言葉など戯れ言だ。
心の底から覚悟を決めた人間にとって、外野がリスクだなんだのと、喚き立てる多くのことは何の障壁にすらならない。
金がない?
だったら。集めよう。集まるはずだ。
考えてもみてほしい。自分がこれから人生をかけて一世一代の本気の勝負しようとしているときに、
本気でやって起業資金の数百万程度も集められないような人間は、悪いが早く死んだ方がいい。
覚悟を決めて本気でやっているのに、その程度も集められないのだとしたら、そいつはよっぽど今まで大した仕事もしてこなかった低能のカスか、今まで生きてきて誰からも信用のないどうしようもないクズだと言っているようなものだ。
そんな人間が生きていても社会に迷惑をかけるだけだ。違うか?
経験がない?
そもそも起業の豊富な経験などもっている人間などいない。逆にそういう豊富な経験を持っているなどとのたまうやつは今まで成功したことがない無能と宣言しているようなものだ。
世界はドンドン グローバルな速度で変わっていく。今までの経験や常識などまるで役に立たない。大事なのはこれからの未来だ。世の中にある課題やニーズを見つけて、それを解決したら必ず収益になるんだ。それはいつまでも変わらない。まだみぬあちこちにチャンスが転がっている。何一つこだわることなく、変化できることこそすべてだ。それをひとつの形しかないと決めつけあざ笑う輩どもの浅はかさよ。
お金は信用であり、信用はコミュニケーション。それを理解していれば失敗などしない。お金は所詮信用が形を変えたものでしかない。それに気づかない人間は一生中身のない金を追いかけ振り回される惨めな人生をおくることになる。
ブロガーがなんだのサロンがなんだのと、ほんと目の前の浅はかさでしょーもないことを騒ぎ立てている人間は、なんと本当にショボいことか。。。
若者を見下し、嘲り、失敗をあざ笑っていた自分自身こそがいずれ何も変わらなかったまま齢を重ねた失敗であることをいつになったら自覚するのであろう。
哀れよのう。