夢をあきらめてはいけないという欺瞞
TwitterでCAMPFIREが街頭広告で「夢をあきらめてはいけない」というキャンペーンを展開しているのを知った。
なるほど夢の実現に向けて立ちはだかる様々な障壁に対して最大のボトルネックともいうべきその資金を集めるプラットフォームを提供するCAMPFIREにとってはこの上ない素敵なキャンペーンだな、と感動した。
そしてそれと同時に残酷な未来でもあるなとも密かに思った。
夢は英語でいうとdreamだ。
そしてdreamという言葉は不思議なことに日本語でも英語でも同じく睡眠中にみる夢と心に描く夢という同じ意味を持つ単語でもある。
なぜ寝るときにみる白昼夢と実現したい理想が異なる言語でも偶然にも同じ意味をもつ言葉なのであろうか。
折りにふとしたきっかけで見た「レクエイム・フォー・ドリーム」という映画のあまりにも衝撃的な結末に心を折られた高校生のときの私がかつてその問いの答えを探していたことを思い出した。
そして偶然にもキャンペーンと時を同じくして大学無償化法が成立したというニュースを見た。
世帯収入が一定の額を下回る学生に奨学金を無償で提供するというものだ。
経済的条件を理由に進学という夢を諦めざるを得なかった学生にとっては新たな可能性を提供する非の打ち所のない素晴らしい法案であると思う。多くの人々に可能性を提供する本当に良い施策だ。
だが一方で、言い換えるとそれは
「経済的条件を理由に大学進学を選ばなかった」という言い訳が許されない社会の到来でもあるといえる。
いや、あるいは自らの無知のためにもしかするとそういう制度を知らなかった、ということもできるかもしれない。
だが、果たして検索ボタンやスマートフォンの向こうには無限の叡智が広がっているのに、それを知らなかったという事実は、その事実をもってしてそもそもそれが夢と呼べるほどのものではなかったのではないか?という残酷なまでの真理の証明でもある。
インターネットは個人をエンパワーメントする強力な翼を与えつつある。
今や人は誰しもがクリエイターであり、起業家にもなりうる。
なにかの権威や権力者に見出されなければ実現し見出されえなかった世界は誰しもに開放された。
多大な資本が必要であった起業もまたインターネットにより誰しもにその門戸を開いている。
YouTube、Twitter、ブログ、あらゆるSNS、そしてクラウドファンディング。かつては一般人だった何者かがそこで人々にその可能性を見出され羽ばたく翼を手に入れつつある。
あなたは今この瞬間からその夢の一歩をいつでも踏み出せる社会の入り口にあるのだ。
そしてその一歩が本当に価値があるものであれば、誰しもがその価値の萌芽を認め称賛しうる社会になりつつある。
だが、教えてほしい。
いずれ社会に名を残すはずのクリエイターや起業家、そしてあるいは何にでもなれるはずであろうあなたが、これだけの可能性が提供されつつある社会でまだ何も翼を授かっていない理由があるのだとしたらそれは一体なんであろう。
なぜ誰しもがあなたのその可能性の萌芽を認めないのであろうか。
それはあなたがまだ本気を出していないだけ、ということになるのだろうか。
それとももしかするとあなたが達成しようとしていることにはそもそもそのような価値がなかったという現実のどちらになるのだろう。
個人をエンパワーメントする社会は誰かに翼を授け大空を飛べる夢想の無限の可能性を与えると同時に、あなたが今もまだ飛べていないという残酷なまでの白昼夢の現実をも提供する。
あなたが果たして夢だと思っているものは果たしてどちらの夢であろう。
明くる日に見たあの映画の結末は主人公たちが思い描いた理想の幸せな世界ではなく、何一つ変わることのないベッドの上での終わりのない白昼夢だった。そしてそれが果たして救いであったのか、まだ私には答えがわからないままでいる。
映画には続きはないけれど、あなたの人生には続きがある。
さぁ、夢をあきらめてはいけない社会へようこそ。