【ショートショート】「結婚した方がいいんじゃないか。」

f:id:tokunoriben:20140625001543j:plain


「結婚した方がいいんじゃないか。」

仕事柄いつもは発言に慎重であるはずの鈴木がふと気がつけば無意識のうちに議会でそう喉から言葉がでてしまったのは、家庭の事情がそうさせてしまったからなのかもしれない。あっと思わず口をつぐんだがそれはもはや口腔の間を超えて誰もがはっきりと聞き取れるくらいに議会で響き渡った後だった。




「ねぇ、あなた、結花のことなんだけど・・・」


もう結婚を考えるどころか子供がいてもいい年頃だというのに、都内で働く娘の結花はまだ自分はしたいことがあるだのいい人がいないだの何とかいって恋人の1人も家にも連れて来ない。若くして見合い結婚で結婚した母親としては、気が気でないのだろう。父親の鈴木としては最愛の娘がいつまでも家にいてくるのは嬉しい限りではあるが、それでももはや30代にさしかかった娘に色恋話の一つもないというのは、それはそれで複雑な心境でもあった。もはやわずかな機会となった年に数回の家族が揃って食卓を囲うイベントのたびに妻は夜半二人だけのリビンクでお茶をすすりながら鈴木に話しかけてくるのが恒例となっていた。

若い事から家庭を省みず仕事一筋にうちこんできた鈴木にとって女心というのは、どうにもこうにも触れがたい厄介なものだった。


妻とは若いときに実業を営む実家の取引先からのたっての希望ということで見合いを引き受けた。するとあれよあれよと縁談がすすみ気がつけば式をあげる段取りが決まっていた。もともと学生時代から男同士でつるむことが多く学業や部活動に一途に打ち込んでいた鈴木にとって、おとなしく清楚で人当たりの良さそうな彼女は回りが羨むには充分すぎる伴侶だった。お前にはこんな美人もったいないな!おまえが結婚しないならおれに紹介してくれよと仲間から揶揄されるうちに、まぁ結婚とはそんなものかと縁談を決めた。

そんな女心に不器用な自分だからこそ初めての娘の結花についても、若いときに男友達とデートだとかいって夜分にかえってきたときについかっとなっていっぱしの父親面をして厳しく叱責したことがあった。もしかしたら結花が仕事が忙しいといってまるで報告をよこさないのはろくに家庭を省みなかった自分に対してのあてつけなのかもしれない。

だからこそ普段の仕事場である議会で、娘と同じような塩村という新入生議員が女性の結婚について発言したとき普段から考えていた言葉が思わず胸を割って出てしまった。

塩村議員はきっと一瞬こちらをにらみつけたかと思うと不適な笑みを浮かべ次第に涙ぐんでか細い尻窄みの声で言い切るか言い切らないかのうちに壇上を後にした。

(しまった・・・言い過ぎたか・・・まぁ、よくあるいつものヤジか。)


しかし、全ては後の祭りだった。

「ねぇこれあなたなの?どういうこと?しんじられないわ。」

新聞の一面には自分の発言に対する辛烈な評論で埋め尽くされていた。テレビのワイドショーではひっきりなしに自分について批判を語るコメンテーターがうつしだされる。普段テレビで芸能人のくだらないゴシップ話を語るコメンテーターが今度は神妙に自分の名前を読み上げて声を荒げて語る様はいっそう事の重大さをしめしていた。事務所の電話は朝からなりっぱなしで朝、事務所にいくと秘書が講義のファックスの束を抱えてげっそりした顔で自分の机に置いて行くのが日課となった。



良いところのお嬢様育ちの妻にはこうした観衆の好奇の目に晒されるのが、耐えられなかったのだろう。

事後収拾のため深夜まで関係各所をかけずり回る最中、ある日リビングには印鑑が押された離婚届だけが残っていた。

妻のあの態度からわかりきっていた結果で覚悟はあったがそれでもつい感情が抑えきれなくなり奇声を上げてテーブルのコップを床に叩き付けた。

コップはゴッと鈍い音を立ててコロコロところがって机の下へと消えていった。とことん自分は不器用な人間だな・・・ 鈴木はそう肩で笑った。






「あなたね、わたしをタレント上がりの色物の鼻につく生意気な女だって思ってるでしょ? 別に好きでこうなったわけじゃないんだから。勘違いしないでよね。」


飲みかけのハイボールを片手に塩村は物憂げな表情でこちらをまじまじと眺めながら言った。

かつてミスコンを総なめにした美貌は年をとった今でも色あせることなく、むしろアルコールで火照った彼女の頬は若い女では決しておびることのない妖艶さをまとっていた。妻以外の女といえば仲間議員に連れられていった銀座のスナックの年増のママくらいしかない鈴木は彼女の真珠のような瞳に見つめられると、目のやりばに困り視線を自分のウイスキーに落とした。

あんな発言をした後に彼女をお詫びと称して食事に誘うなんて、思えば信じられないくらい女性心のわからないKYではあるが、それでも女心に疎い鈴木にとっては、自分の行きつけの中でも最高級の店に招待することは、思いつくかぎりの誠心誠意のこもった謝罪であった。

そして彼女も彼女で、こんなことはよくあることと言わんばかりに、鈴木の申し出に、ええ。いいですよと。あっけらかんと二つ返事で誘いに応じた。


「じゃあ、ここはあなたのおごりってことでいいのかしら?」

気がつけば、時計の針は12時を回っていた。かつてバラエティ番組で皎皎と男性履歴を嬉しそうに語る姿にはそこにはなく、政治にそして真摯に社会問題を熱っぽく語る彼女の態度に、いつしか自分でも気がつかないくらいに鈴木は引き込まれていた。


女性の晩婚化問題か。今まで考えた事もなかったな。最後に自分なりにやれることだけやってみるか。

それから鈴木は限られた自分の残りの議員人生で女性の晩婚化や晩産化をテーマを取り扱うようになった。これが女性軽視と取られる発言をした自分ができるせめてもの罪滅ぼしだった。またプライベートでもかつての会社経営者仲間からいくつか子息の縁談の相談をうけると彼女に相談するようになった。すると彼女も彼女で過去のネットワークから、こちらも驚くくらいの適役の縁談をセッティングして、いくつかの縁談が順調に決まった。

自分が描いていた今までの女性像とは違って年齢差も性差も気にさせずズバズバと案件をすすめていく破天荒な彼女はまさに自分がいままでできなかったことをカバーしてくれる良き政治上のパートナーとしていつしかかけがえのない存在となっていた。

そうしてまとまったとある縁談の披露宴会場で、新郎新婦が鈴木先生と塩村先生のおかげですと、サプライズでのスピーチをするといっせいに会場の注目が集まった。なんだかばつのわるい思いで同じく披露宴会場にいる彼女に目をやると彼女もそしてまた照れくさそうに目を背けた。


(・・・自分もそろそろはっきりとさせないといけないな)




解散前の最後の議会。普段は何の変哲もないただの議会が、例の事件の幕引きの場となっただけにいっそうの緊張感で覆われていた。

ただでさえ注目が高く張りつめた空気の中、塩村議員が壇上に立ち、かつてからすすめていた女性の晩婚化に関する議員としての取り組みを説明し始めた。

いつもならヤジで埋め尽くされる議会もこの日限りは、シンと静まりかえる。



「…結婚した方がいいんじゃないか。」




その瞬間、誰もがまさかと思うような発言が、決してありえない方向からはっきりと響き渡った。


まさに無とも言うべき静粛が一瞬あたりに広がったかと思うと、わっと一気に怒声にかき消された。



「これは・・・この発言は鈴木議員なんでしょうか?」

塩村は壇上にあるマイクを手元にぐっとたぐり寄せて、声の出先である鈴木に視線を向け誰にでも聞き取れるはっきりとした言葉でそう答えた。

「結婚した方がいいんじゃないでしょうか、と確かに私が発言致しました。」

いっそう響めく会場。罵声とも感嘆とも言うべき言葉があたり一面をうめつくした。

長年の議員生活の中でもこれほどまでのデシベルで会場が埋め尽くされるのは初めてだった。

一心の視線を受けながら鈴木はつかつかと壇上前に歩み出ていった。

「塩村議員、結婚した方がいいんじゃないでしょうか。・・・だから、だから、わたしと、結婚して、ください。」

そういいながら、鈴木はスーツのポケットからエンジ色の小さなリングケースを取り出した。そこには白くまぶしく輝くダイヤモンドの指輪があった。

パチ…パチ…パチパチパチパチ。

どこからともなく、わきあがった拍手はいつしか議会埋め尽くさんとばかりの大音響へと変わった。塩村はというと両手で口を覆い、信じられないと言わんばかりの表情でこちらを眺めている。

「静粛に! 静粛に! 鈴木議員ここは公式な議会の場です。個人に関する私的は発言は控えてください。直ちに今議会からの退出を命じます!」

なぁに、どうせ次の選挙で終わる身だ。最後くらい、自分が好きな事をやらせてもらうさ。

警備員に羽交い締めにされ抱きかかえるかのように鈴木は議会の場をあとにした。そしてただ鳴り止まんばかりの拍手が鈴木が人生最後の議会で耳にした音だった。

メディアは議会の禁断の恋と面白おかしくかき立てて、またかつてのように紙面や番面は彼の名前で埋め尽くされた。

鈴木はその後こっぴどく関係者からしぼられ、半ば軟禁状態で事務所での待機を命じられた。

ただ、肝心の返事については騒動のうやむやで未だ本人からの回答を聞けずじまいであった。

そして数日後、鈴木の事務所に一通の封筒が届いた。差出人には塩村の名がある。

まさかと、思って封筒をあけるそこには1枚の紙だけが入っていた。

「請求書:金1500万円也 議会での発言に対する精神的苦痛の慰謝料として。」

目の前が真っ暗になった。どうしてこうも自分は馬鹿なのか。勘違いにもほどがある。ほんとうにどうしようもない男だ。


すぐさま鈴木はその足で塩村の議員会館の部屋へと向かった。

「失礼します。」

通された応接室に塩村が入室する。どんな顔をして彼女に顔を合わせていいのか検討もつかない。

ただ神妙な顔つきで机に置かれた請求書に目を落としながら、開口一声で鈴木は口を動かした。

「このたびは大変失礼致しました。自身の行き過ぎた行為を深くお詫び致します。」


一瞬の静寂の後、塩村が重々しく声を上げる。

「あら。あなたに言わなくて? わたしは別れた交際相手からも慰謝料をもらうようなひどい女だって。」


1500万円程度であれば、議員時代で貯めた貯金で払うことができる額だ。

行き過ぎた自分の勘違いの代償と事件の幕引きとしては悪くない落としどころだろう。

「こちらの請求書の件ですが、すぐにお支払いの手続きをすすめます。このたびは誠に申し訳ございませんでした。」


終わった。これで何もかも終わった。



「そうね・・・あら。失礼。一言書き損ねていたわ。」


彼女はそういうと机から万年筆を取り出すと請求書に走り書きをした。


「慰謝料及び新婦塩村との結婚に伴う持参金として。」


あんぐりと口をあける鈴木を尻目に塩村は照れくさそうに笑った。


「・・・幸せにしないとしょうちしないんだから・・・ばか」


彼女はそういってドンと肩を小突いた。


思えば、自分も彼女もずいぶんと遠回りをしたのかもしれない。


ボロボロの議員会館で冬の訪れを感じさせるすきま風がカタカタと音を立てて吹きすさんだが、その風はなんだかいつもより少しだけ温かな気がした。


※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。