1万円のステーキよりも3000円の現金なんか選んでる人は経済的云々じゃなくて精神的に心底貧しいんだろうなって悲しくなるよ・・・

Twitterでお爺ちゃんが1万円のステーキじゃなくて、3000円の現金を選ぶ若者が多いこと!的な感じのツイートに対して、老害!と罵るリプライが溢れたり、おじいちゃんも誠心誠意返信していたりする様が力強いとか、いろいろ話題になっていた。

まぁ実際は、テレビのワンシーンをつぶやいただけで、自分の実体験でそうだったというわけではないけれど、それを80歳を超えたじいさんの意見そのものと勘違いしたネット民たちの老害!老害!と食って掛かる反応や応酬が非常に興味深かった。



仮に、すでに隠居をしたこのようなご老体に、これから1万円のステーキを一緒に食いにいくか、あるいはこの場で3000円もらって帰るかどっちがいい?と聞かれたら、


僕は、1万円のステーキと3000円の現金だったら迷わず1万円のステーキを選びたいと思う。


別にそれが、どんなに経済的に自分が苦しい状況であっても、話とかみ合わないじいさんと同席だろうがなんだろうがまったく構わない。

ひとつ1万円といえばステーキの中でも最高級品、一流のステーキに分類される方だと思う。

もちろん1万円のステーキは1回で食ってなくなる。時間にして数時間程度だろう。

でも、1万円のステーキを食ったという事実は一生なくならない。

20代の若いその時期に、世界に誇れる一流の経験をしたという事実はずっと残るし、それ以外にもその経験を人とわかちあうことができる。

「この間1万円のステーキを食べにつれていってもらったんだけどさ、それがうまくてうまくて・・・」「へ〜!」「またいきたいなぁ」

なんて感じで、普段は違った新しい経験なんてものは酒の肴にしたって面白いし、そういう何か新しい経験をしている人といいうのは得てして興味深いものだ。そりゃ吉野家で昨日牛丼を食った話なんかを喜んで話してる人というのは正直一緒に話すのはご遠慮したい。


そして、老害だろうがなんだろうが自分にそんなステーキを食わせてやろうという爺さんの誘いには二つ返事で引き受けておいた方が、決してその後々のことを考えると損することはないと思う。

毎日いっしょに食えというのはさすがにつらいものがあるが、たまにこうして付き合って自分とは違った世界の話を聞くのはとても面白いものだと思う。


それを、3000円の現金の方がいいと頑なに主張し、老害の価値観の押し付けだ!驕るな!若者の自由にさせろ!だなんて主張する人がこんなにも多いことに、僕は、なんだか、悲しくなってきた。


こういう選択をするってことは、経済的に貧しいとかじゃなくて本当に精神的に貧しいんだと思う。


最近自身の危機感を覚えるのが、最近の貧しさというものがみんなが思い描いている貧しさとすでに変わっているという事
実。


例えば最近すごい寒いけれど、自分がめちゃくちゃ貧乏だったらどうなるかって考えた時に、貧しくて貧しくて着るものすらなくて裸でブルブル震えてるっていう状況が訪れる前に、どうするかっていうと多分ユニクロで何か服買うと思うんだよね。もちろんユニクロより安いとことかあったりするのだろうけれども、そういうところ探し回って移動コストを考えたら、近くのユニクロで買う方が品質いいし早いし安上がりなんだよね。

逆に年収1000万とかあって、すげー金持ちになったらどこいくかって言うと、多分やっぱりユニクロ行くんだわ。実際高所得者もユニクロ好きっていう調査もある。

同じように、多分セブン-イレブンも貧乏になってもお金持ちになっても変わらず通うと思うし、

iPhoneとかスマフォも同じように、持ってると思う。もう、言ってしまえば物質的な所有による貧富ってないと思うんだわ。カメラだって、iPhoneあれば事足りるし、動画も音楽プレイヤーもそうでしょ。

そうすると、じゃお金が欲しいとかいうけれど、あなたはそれで何したいのよ、って。なる。


だから、今の世界って、お金は自身の相対的な価値基準じゃなくて、絶対的な価値基準だけを見て、新しいものに使っていかないとドンドン貧乏の世界に落とされていってしまうんじゃないか。って考えてる。


例えば、3000円と言えば、1回みんなだいすき大衆居酒屋でワタミで飲み食いすれば消える額だ。

でも、同じ3000円払えば、日本の5つ星のような一流ホテルで朝食が食える。

3000円の居酒屋と聞くと安いと思うけれど、3000円の朝食と聞くと高い!って思ってしまう。

でも払う金額は同じだ。高いか安いかっていうのは、其の人の相対的な価値観に引っ張られているだけ。

そうやってずっと同じように3000円を大衆居酒屋に払ってても多分人生は何一つ変わらない。

だから可能な限り一流の経験を積める選択肢を意識的に選んでいかないといけない、

貧しくて、辛くて、行き詰まったときほど、一流の経験をすべきなんだって思う。

多分その非日常的な経験が、必ず現状を変える糧となる気がする。

逆にそういう経験をしないと同じ生活がループして、ドンドン精神的に貧しくなっていくと思う。

本当に自分でも気をつけなきゃなって思ってる。

経済的ならまだしも、心まで貧乏人になったら人間終わりだ。