IVSに登壇していた偉大な起業家たちに、2年前から、少しだけ近づいた気がする。

2年前の秋。

僕はひとりの学生として、IVSの学生向けセッションの場にいた。

手が届きそうもない偉大な経営者の声に耳を傾け、心震わせていたひとりの学生だった。

昔書いたブログを読み返してみても、あの時の興奮がいきいきと蘇る。

僕がIVSでweb業界四大将から学んだ未来の魅せ方 - 拝徳




あれから2年がたち、僕は無職となった。

いや、起業家、といった方がいいのかもしれない。

くしくもその日、同じようにIVSのセッションがあり、2年前と同じように耳を傾けている自分がいた。


将来、起業をしたいとかいう人間は、世の中に履いて捨てるほどいる。

その手の人間に、なぜ今しないのか、と問うと。

えてして、まずは経験を積んで成長してから、とかそういう答えがかえってくる。

そしてそこで語られる経験や成長には何ら具体性や計画性がないのがほとんどである。

覚悟や中身がない人間ほど、成長や挑戦といった抽象的な表現で自分をごまかそうとする。

そのうち、だんだんと結婚だの、家庭だの、両親だの、子供だの、あれこれと理由がついてきて

結局のところ小じんまりとして収まった人生を過ごしていく。

結局のところ最後の最後で第一歩を踏み出すリスクを取れないのだ。

今回のセッションで登壇した吉岡先生が言っていた。

「山に登ろうと思いそのための準備をする。そのあらゆる過程の中で、登ろうと決心するまでに一番時間がかかる。人生の回転を速くする事ために必要なのは、無駄に悩まない事である。」

まさにそのとおりである。

僕も例にもれなく、そうやって自分をだましだまし生きていたチキンのひとりだったが、、ようやく山を登る覚悟ができた。

何ら失うもののない、身の程知らずの二十歳幾ばくかの年ですら、ここまで時間がかかったのだから、もう少し経験を積んでから、なんて言って30半ばになっていたら一生、エベレストを登ることなく、麓で登る登るいっているエセ登山家で人生を終えただろう。

もちろん、不安はある。

なんせ僕にはスキルや経験がない。

そして創業期は、本当にボタンを一つ欠け間違えただけで会社が死ぬ。

売上がまったくでなかったらどうするのか。
ある日突然競合が参入して市場をかっさらっていったらどうするのか。
損害賠償を起こされたらどうするのか。
自分が病で倒れたらどうするのか。
親が倒れたらどうするのか。
仲間に裏切られたらどうするのか。
失敗したらどうするのか。
・・・・

全てが自己責任の名のもとに僕の肩にのしかかってくる。

もしかしたら、一生日の目を見ることなく、死んでいくかもしれない。

しかし、そのようなことを憂いてもどうしようもない。



「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め。」

幕末の志士らに大きな影響を与えた江戸時代の儒学者、佐藤一斎の言葉である。

1歩先も見えないような暗夜の夜に、暗い暗い、と嘆いていても仕方がない。

ただ、自らが手にした志というわずかな明かりだけを頼りに前に進んでいくしかないのだ。

そしてその1歩1歩が、自分をそして世界を変えていくのだ。




IVSに登壇していた偉大な起業家たちに、2年前から、少しだけ近づいた気がする。


いや、もしかするともう手を伸ばせば届くところにいるのかもしれない。


僕も彼らと同じように暗夜へと1歩を踏み出したのだから。