起業家は河村瑞賢に学ぶと良いと思うよ、というお話。

僕の好きな歴史上の人物に河村瑞賢という江戸時代の豪商がいます。


江戸時代に東廻り航路・西回り航路を開拓した商人〜的な感じで日本史を習った人間ならちょろっとその名前を聞いた事があるかもしれません。

しかし、この人、掘り下げて調べてみるとすごいエピソードの持ち主だったりします。



起業と書いて、業を起こすと書くわけですが、これはもういろいろな形があるわけです。

とかく、この有形無形の魑魅魍魎が跋扈する界隈では、壮大なビジョン、輝かしいキャリア、溢れ出る投資マネー、キラ星のような人材、殺到するメディア、といったような始まりからキラキラした会社が脚光を浴びがちですが、

やっぱりホントにゼロから駆け上がっていって最後には世界を変えてしまう企業家というのは、実に素晴らしいと思います。

そういう意味では、河村瑞賢というのは、時代が変われど後世でも学ぶことの多い、日本を代表する素晴らしい起業家と言っても過言ではありません。

やれシリコンバレーだスティーブジョブズだというのもそれはそれでいいのですが、ここはひとつ故きを温ねて、新しきを知る、ということで河村瑞賢のエピソードを振り返りつつ、起業家として必要なスキルについて起承転結で考えてみましょう。

起:人々が当たり前だと思っていることを疑い、ゼロからイチをつくる。

河村瑞賢は元和4年(1618)伊勢国度会郡東宮村の貧しい農夫太兵衛の長男に生まれます。地元でくすぶってるジモティーを尻目に「俺はビッグになるぜ・・・」と13歳で江戸へ上京しますが、コネもツテもあるわけなく、江戸では車力(車曳き)生活を送る分けです。今で言うとタクシー運転手とかトラックの運転手のバイトみたいな感じですかね。「俺はこんなことするために江戸にきたんじゃねぇ!」とさすがに自分探しのモラトリアムも限界。実家に帰ろうとするわけですが、帰り途中の小田原で、仲良くなったバックパッカーのおじさんから「どうしてそこで諦めるんだ!もっと熱くなれよ!」みたいな感じで説得されて江戸に帰るわけです。とはいえ、仕事もやめちゃったんで品川あたりでもうすることなくて海とかずっと眺めてる日々が続きます。「はたらくだけがじんせいじゃないんだなぁ みつを。」みたいなニート生活です。
そうすると海にキュウリとかナスが流れてくるのが目に入ります。現代ではあまり見かけませんが当時は盆過ぎには、お供え物としてキュウリやナスを流す習慣があり、それらが打ち上げられたわけです。
まぁ、普通の人間は、あぁお盆でキュウリとナスが流れてるなぁ、くらいにしか思いませんが、そこは瑞賢。天性のセンスを発揮します。

(これ売れるんじゃね?)

捨てられて海に漂着してる野菜を売ろうなんて普通の人間は思いもよらないし、やったとしてもそれって衛生的にどうなのとクレーム必須ですが、あつめて野菜を漬け物にして、一応衛生面的には大丈夫な感じにして、「誰にも拾われない野菜からつくった漬け物。残り物には福がある。というわけでこれは福の神のご利益をつけ込んだ「福神漬」です!!!」と言い切って抜群のマーケティングセンスを見せ、これがバカ売れします。もちろん元をたどれば捨てられてた野菜で原価タダですから、もうボロ儲けなわけです。このあたりのセンスには脱帽ですよね。


優秀なビジネスほど、後から振り返ってみると当たり前すぎてなんでそれ誰も気がつかなかったんだろう、ということが結構あったりします。今でこそ信じられませんが、Googleですら、創業当初は「検索とかwww誰得www」とか言って、相手にされてなかったりしています。

事業をつくる初期のフェーズではマネジメント云々より。こういう皆が目も向けない当たり前のところから、ニーズを見抜く才覚が大事だったりします。



承:仕組み化とアイディアで難題を乗り切る。

続いて瑞賢は漬け物事業から土木事業へ進出します。えっ?なんで漬け物から土木事業に?と思いますが、

この漬け物がおにぎりに合うとかで工事関係者の間で評判となって出入りしていた縁で、当時城下町の建築ラッシュに湧く花形の建築市場に勝機を見出し、参入するわけです。

ここでも瑞賢、今まで親分や職人の勘に左右されがちだった工事現場に分業制を導入したり、人夫の働き方を数値的・合理的に差配する仕組みをつくって、めきめきと頭角を現します。いわゆるマネジメント能力を発揮していきます。

また、成長市場にありがちなクライアントからの無理難題をも機転で乗り切ります。

有名なのが増上寺の改築のエピソードです。

増上寺の瓦が一枚だけはがれたので、それを修復したいと寺から発注がきます。

瓦一枚と言っても直す為には大がかりな足場を組まねばならないので、他の業者は大工事並みの費用を見積もります。

「ここのデザインちょこっと直すだけだからすぐできるでしょ?」「ちょまてよ。」みたいなまるで現代さながらの光景が江戸時代にも展開されるわけです


ところが、瑞賢は相場の三分の一で見積もりを出してきます。これには関係者一同もびっくり。おまえはクラウドワークスか何かか。

さてさて工事の日になると、どうするのかと現場には大勢の見物人が集まりました。

すると、瑞賢は凧をあげて、棟を超えて堂の反対側に凧を落とします。こうすることで、堂の屋根にたこ糸がまたがるようになったわけです。次に、瑞賢はたこ糸の片方の先に少し太い糸をくくりつけ、反対側から引っ張りました。
こうして、堂の屋根にはさきほどより太い糸がまたがるようになりました。この作業を繰り返していくうち、屋根には太い縄ばしごががかかり、瓦の交換もあっと言うまに終了。工事はわずか半日、人足4人ですんでしまったということです。

これには増上寺も感動。噂が噂をよび瑞賢はトントン拍子で事業を拡大していきます。


競争が激化していく市場では、頭を使って考えることが大切だったりします。
マネジメントスキルを発揮して先駆けて新しい仕組みをつくったり、機転を効かせて効率化したりと、値下げによらない差別化で他社に負けないよう事業の足腰をつくっていくことが大事なわけです。


転:時勢の機微を見抜き、最大のレバレッジをかけて利益を稼ぐ

そして瑞賢の豪商を決定付けるのが明暦の大火のエピソードです。

明暦3年(1657)江戸城をはじめ江戸市街の大部分を焼き尽くした未曾有の大火が起こります。江戸が大混乱の最中、家族の安否も気遣うことなく、瑞賢は手元にあった10両(現在の紙幣価値で約200万円〜300万円)をつかんで家を飛び出すと、木材の名産地の木曽に爆速でかけつけます。

インターネットも電話もない時代、当然木曽には明暦の大火の報はまだ届いていません。一番乗りで、山林王とも称される木曽最大の材木屋にたどり着きます。

江戸は大火に見舞われて今後、立て替え需要で材木の需要が高まるのは必須。そんな中一番乗りで木曽最大の材木商にたどりつくわけです。もうこの時点で商才が半端ないですが、ここからの瑞賢も神がかってます。

さて、あなたならここでどうしますか?

「ここにあるだけの金でありったけの木を売ってくれ!!」

一見正解そうに見えますが、残念。これではまだまだ二流です。

いきなり血相を変えたよくわからない人間がやってきて、札束を出して、木を売ってくれ。これでは木材屋も江戸で何か火事でもあったかな?と足元を見ますので、当然、のらりくらりと交わして事実確認をした上で、後からきた一番高値で買ってくれる商人に売ってしまうわけです。

ここで瑞賢のしたたかさが光ります。

 山林王ともいわれる木曽最大の材木屋の屋敷の門に駆けつけてきた瑞賢ですが、庭先で遊んでいたその家の子供を見ると、懐から3両を取り出し、小柄で穴を開けこよりを通してガラガラ玩具をこしらえて与えました。

子供がいきなり小判でつくられたおもちゃを持って帰ってくる訳です。これには山林王もびっくり。

瑞賢を相当の金持ちだと思い丁重に持て成します。まさか火事で焼かれて全財産200万くらいしかもってないとか思わないわけです。

「いや〜ちょっと新しく事業をすることになってさ〜、木がたくさん必要なんだよね〜。ただ、金額が金額だけに今はこれだけしかまだ持ってきてなくてさ、残りの金は番頭がもってくることになってるんだよね。まぁ、別に無理にあんたのところで買う必要もないんだけどさ。どうしよっかなー」

とかなんとかチラつかせるわけです。こんな太客をのがしては大変と、主人も後からカネを持ってくる番頭を待っているという瑞賢を信用し、持ち山すべての材木を売り渡す証文に印を押しちゃうわけです。

それで、瑞賢が雇った人夫たちが伐り出してきた材木に「河村」の刻印をバシバシ打っているころ、ようやく江戸の材木商たちが木曾材の買い付けになだれ込んできます。

が、もうすでに手遅れっ・・・・。木という木は瑞賢に買い占められるっ・・・。

彼らは瑞賢から彼の言い値で高価な材木を買うしかありません。材木商たちに売却した代金から山林王への支払いを済ませ、残りの大量の材木を江戸に運んだ瑞賢は、他の材木商よりはるかに安い材木を売り出し、すべてを売り尽くして莫大な利益を稼ぎだします


このセンスwww

現代でもそうですが、あるときいきなり目の前に巨大市場が唐突に現れるチャンスというのがいくつかあります。いまだと、スマートフォンとかソーシャルゲームですかね。そういうときに、その意味を誰よりも早く理解して行動を起こし、かつ利益に最大限のレバレッジを効かせることができるかどうか、というのが企業が大企業に成長するか、中小企業で終わるかの境目な気がします。もちろんそのためには普段からスタートダッシュが切れるように体力づくりもしている必要があるわけで、そこでさっきの「承」の経験が活きるわけです。


結:そして社会貢献。ただし利益も忘れずに。

こうして江戸の復興需要に食い込んだ瑞賢は政府関係者とも仲良くなり、政治にも意見を求められるような立場になっていきます。

政府「なんかさー 最近江戸に人増えすぎて米が足りないんだよねー。」

瑞賢「じゃあ米の産地から米を運んでくればいいんじゃないですか?」

政府「おっ! それいいじゃん! 東北地方からこう船でガーッっといってビューと行けばもってこれるよね!君ならできるよ!これぞベンチャー!じゃああとよろしくね!」

瑞賢「えっ。」


とか無茶ぶりされるわけです。


でもそこは瑞賢、言われてやっちゃうわけです。


地図もろくにない時代に、船でぐるっと日本列島をまわって江戸に米を運ぶ東廻り航路と西回り航路を開拓します。

これによって近世物流の大動脈が一気に整備され江戸時代の経済は飛躍的に発展するわけです。

この他にも、銀山を掘り当てたり、淀川とか安治川のような日本を代表する河川を整備したり、港をつくったりと、Googleでもそこまでやらねーよwww という結構すごいことをさらっとやっていたりします。

しかし、これらも単に慈善事業や社会貢献ではなく、もちろんちゃっかりビジネスとして莫大な利益を得ています。

例えば航路開拓では、自分の船はちゃっかり最優先待遇のお墨付きをもらってボロ儲けしたり、

その他の工事でも、

弟「あー兄ちゃん、頼まれてた工事の件なんだけどさ、今のままだと予算ギリギリで赤字になっちゃうんだよね。」

瑞賢「・・・おい。弟。お前いっかい牢獄にいけ。」

弟「えっ。」

・・・・・

幕府「おい!お前の弟が担当してた工事、めちゃくちゃじゃねーか!!どうなってるんだ!!」

瑞賢「本当に申し訳ありません。弟といえど泣いて馬謖を切るの覚悟で、肉親だからと言わず牢獄にぶち込みました!!」

幕府「お、おう・・・(そこまでやるか・・・)あ、あとはお前がなんとかしろよな!(さすがにここまでやるからには後はこいつががしっかりやるだろ。常識的に考えて・・・)」

瑞賢「しかと承知しました!(さすがにこれでこの後まさか俺が弟以上の手抜き工事するとは思わねーだろwww やったボロ儲けwww)」

とかいうエピソードが残っていたりしますwww


どんなに崇高なビジョンがあろうが、やっぱりそこにはそれで何か儲けたい、という欲望がなければ実現はできません。

それは人類が長い歴史をかけて証明してきた事実です。

ビジョンなき金が無力であるように、金なきビジョンもまた無力です。

そういう飽くなき欲望をもった事業家というのは、本当に社会を変えることができると思う、数少ない人種だと思います。

そして多くの人間がそこそこの小銭を稼いだら、あとはのんびりリタイア暮らし、という道を選ぶ一方で、その生活を捨てるリスクをもってさらに上を目指せる、というのはこれはもう、普通の人間ではできない選ばれし才覚だと思います。



いかがでしたでしょうか。


とかく遠いアメリカの西海岸に想いを馳せるのもまた良いですが、古き日本の海岸で偉業を成し遂げた日本きっての起業家に思いを馳せるのもこれまた冬の夜の一興です。

それではまた。


今回も特に煽りとかオチは無しですw


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【参考サイト】
河村瑞賢 エピソード その一 : 酒の向こうに日本が見える   by のんべえ http://sakenihon.exblog.jp/10177045/

河村瑞賢 http://www.beads-aiai.com/atorie/rekisi/kotoba_9.html

福神漬の逸話 河村瑞賢 - 築地市場 大根河岸から豊洲市場まで http://blog.goo.ne.jp/tukemaru/e/4d9a5fb6afe803ee107c1d4010dba14c

河村瑞賢 とは - コトバンク http://kotobank.jp/word/%E6%B2%B3%E6%9D%91%E7%91%9E%E8%B3%A2

近世日本の大海運網を確立させた強欲商人「河村瑞賢」 | Kousyoublog http://kousyoublog.jp/?eid=2819

江戸時代の豪商河村瑞賢さんの知恵に学ぶ|リーダーの人間分析講座,コミュニケーション力をつける http://ameblo.jp/leader-ken/entry-11289648495.html