日本ユニセフをネットで叩いて溜飲をさげる貧乏人たち

ネット界隈をぼんやり眺めていると、日本ユニセフという団体が叩かれていた。

「でも募金は役に立ったんですよね。 何か直接の手柄はなくても募金は人類の生存の糧になったんですよね!?」

「今回の募金で我々は、いや、今回も・・くっ・・何の成果も得られませんでしたぁぁ!!私が無能なばかりにただいたずらに子供を死なせ、子供らの死を食い止めることが、できませんでしたぁぁ!!」

的な感じかなんかで叩かれているのかと思っていたら、どうもそうではなくて、この団体がゴージャスな自社ビルなんかを持って集められた募金をピンハネしてるのがけしからん、みたいなことで盛り上がっているらしい。

ほほうと思って、話題になっている記事を読んでみたり、ユニセフのホームページで活動報告を読んでみると、自分が思ってた以上に団体がしっかりと活動をしていてびっくりした。




お金について考えるときに、大切なことはお金には綺麗も汚いもなく価額以上の価値はない、ということだ。

汗水たらして必死で働いて手に入れた1万円も、秒速で稼いだ1万円も同じ1万円の価値以外はない。

もちろんお金はあくまで手段でしかないので、それが使われてどのような結果をもたらしたかというのが一番題重要なことだと思うのだが、今回のところで言うとそういう意見、例えば世界の貧しい子供がどれだけ助かったかとかはぶっちゃけみんなどうでもいいみたいで、要するに俺らが出した金がピンハネされてるのがなんだか気にくわねぇ、という要はイチャモンである。

お金が使われた結果どういう効果が生じたか、というのを考慮しないのであれば、募金という行為において価値があるのはいかにたくさんのお金を集めて、届けることができたか、ということだ。

この際考えるべきことはすごくシンプルで、要するに、出て行く無駄なお金を少なくするか、はいってくるお金を増やすか、ということである。

この際に個人目線で考えると、出て行くお金を減らすのがとても合理的に見える。なぜなら給料を増やす事は10%や20%ですらもとても難しいが、出て行く金を減らそうと思えば、閉店間際のスーパーに並んで半額の残飯を買うなりなんなりで、出費の20%くらいは結構簡単に減らせたりするからだ。

企業のような事業体でも一見おんなじような考えが正しいようにみえるが、事業体の場合は個人と違って投資的な側面が大きいので、この発想をそのまんま当てはめてしまうとマイナスの結果になってしまうことが多い。

要するに、広告宣伝費のような経費がたくさんかかっても、その分を織り込んで上回るリターンがあれば事業体としては成功なのである。逆に経費を減らしても、その分収益が減ればそれは事業体として失敗なのだ。

人件費は減らせるだろ!という意見があるやにしれんが、同じお金を扱う仕事である金融機関の給料が高いのと同じように、お金を扱う仕事というのは高い倫理性を求められるので悪事に手を染めずしっかりと責任を持って仕事をしてもらうためにもそれなりに給料を担保する必要もあると思う。


「っつか、ほんと俺アフリカの子供達かわいそって思うんすよねー ほんとなんつーか恵まれないっつか。もう日本とか恵まれ過ぎじゃないっすか? だからもう俺ぶっちゃけ給料とかいらないっす。ほんと自分はお金とか興味ないんで。余裕あれば全部募金したいっていうか、社会貢献したすぎてもう給料とか関係ないですみたいな? ということで、俺、チャチャっと送金しちゃうんでキャッシュカードと暗証番号教えてもらっていっすか? あ、もうネットでやっちゃいますんで。え? 口座の明細をチェック? いやいや、そういうのコストかかるんで確認とか必要ないっすよほんと。アフリカの子供たちのために少しでも費用減らした方がいいっすよ。ほんとマジで。無駄なコストっすよ。ほんと俺給料なくても頑張ってるんで。俺を信じてもらえばなんも問題ないっすよ。いやほんとマジで。」

みたいなんて胡散臭くてしょうがない。

つまるところサルでもわかるシンプルな引き算だ。

30億の経費を使って160億円の募金を集めた事業体と、10億の経費を使って、60億の募金を集めた事業体があります。

募金した総額が大きいのはどちらでしょーか?? 答えはとっても簡単ですね。



 もちろん市場自体が縮小してるとか、拡大の余地がないとかであれば、出て行く経費を減らす方法が有効かも知れないけど、日本の2012年度末の家計金融資産が1571兆円くらいあることを考えると、160億なんてほんと微々たるものである。もっともっと拡大の余地があるのだ。実際に経費の内訳をみてみると啓蒙活動や広告に多くが使われているみたいだ。

ユニセフのページで公表されている国民ひとりあたり拠出額の会計を見ると、1位のノルウェーが48.41ドルであるのに対して、13位の日本は国民一人当たりで見ると、2.76ドルである。

つまり今回の騒動をわかりやすく言うと、



日本人「え?あいつら飢えて死にそうなん? へーそれはかわいそうやなぁー・・・ よっしゃ!それやったらな俺らも身を削って支援したるわ! 任せとき! ほな牛丼一杯分くらい出したる! え?ちゃうちゃう。1年間でやで。 月やったらだいたい30円くらいや!(ドヤ ・・・って、えっ!? 何これ俺、金ピンハネされてんの?! は?俺とか月に30円も金出してるんですけど!! なに勝手に7円もとってんの?! は?は? ありえなくね?! 俺らの尊い募金を何だと思ってんの!?」

的な構図だ。


こうやってみるとなんだかすごくしょぼい話である。



それでもって話を戻して、この1500兆円の金融資産のうち50代以上が82.4%を持っていて、ネットで幅を利かせて息巻いている20代以下が占める割合は0.3%である。

もはやネットでワイガヤ言っている20代かそこらの人間は実際の募金という行為の存在感で言うと塵か何かの存在である。

こういう視点で見るとネットで叩かれている理由のひとつである自社ビルが港区の高輪にあるのも結構合理的な戦略に思えてくる。

自社ビルか賃貸ビルかで言うと、今後も長期にわたっての活動が前提とされている事業体だとわかっているのならば賃貸だとかえって割高になるし、特定の不動産会社を毎年儲けさせるのもなんだかおかしな話だ。多少お金がかかっても自社ビルの方がいいだろう。

また、港区高輪と言えば、地価も高いが白金高輪や白金台といった日本を代表する高級住宅街を近隣にかかえ富裕層が多く住む地域である。

オフィスには活動拠点としての機能もあるが、周辺地域へ根付いた広告塔としての役割もとても大きい。
やっぱり、身近に目にしたり、触れる機会が多いもの関しては何かしら人は親近感がわくものだ。また何かあったときに近くの場所であれば駆け付けやすいしお客さんも訪問しやすいというメリットもある。

確かに港区を出てもっと地方か地価の安いところに拠点を構えれば、それなりに固定費は抑えられるだろうが、その結果として活動に支障をきたしては元も子もない。

最初にも書いたが、100円を2万人から集めても、200万円を1人から集めても同じ200万円であることに変わりはない。だとしたら後者の方が手間もコストも少ない。あと後者には節税対策というインセンティブもある。

・・・要するに、貧乏人が群れて住んでるところに拠点構えたって集金が非効率だろ言わせんな恥ずかしい///。ってことだ


もちろんだからといって低所得者からの募金も決して無視してはいけないだろう。

たとえそれが塵であってもつもれば山となるのだ。

しかし、そのために必要以上にリソースを割いてしまっては、本末転倒である。

幸いなことに日本には、そういう低所得者層からも射幸性を煽って効率的に搾取できる世界にも類をみない素晴らしいスキームがいたるところにあるので、それを活用してはどうだろうか。

ほら。あれあれ。日本全国にどこ行ってもあるアレで「CR日本ユニセフ」とか。

大災害リーチ発生! アグネスが三つ揃ったら激アツ確変モード突入! 募金金額が100%に急上昇! 

とか、

みんながスマホでやってるアレとかで、同じ色の地雷を並べて消したり、募金ガチャを回して手に入れた教材カードで激レア難民たちをアップグレードしようとかさ。

きっとずいぶん効率よく集金できるんじゃないだろうか。

と、まぁ、ぐだぐだと書いたところで結局のところ、どんなに金を集めたところで、金はしょせん金でしかないので、自分たちは結局、「どうだ明るくなったろう」、的なアイタタな成金にしか過ぎないのだ。やっぱり世界の最前線の現場で日々身を粉にして活躍されている現場の関係者には頭があがらない。そういう人たちの活躍があってこそたくさんの人が救われ、募金も意味があるのだ。

だとしたら、

「あっれーwwwみんなから集めた募金ピンハネしちゃっていいんですかwww? この人たち中抜きしてまーすww。19%もピンハネしちゃちゃってまーすwww。僕たちが毎月募金してる30円からこの人たち7円も中抜きしてまーすwww。えっww 真実広めて何か不都合でもあるんすかwwwブフォwwwネットは真実www 」

みたいな行為に労力をさくんじゃなくて

「なんだ実際には募金額の80%しか子供たちには届かないのか。じゃあさらに20%多めに募金しとくわ。俺が今できることはせいぜいこれくらいだけどさ、みんな辛くても負けずに頑張れよ!」

くらいに困っている人たちを支援できる余裕のある大きな人間になりたいものですね。