読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

真の貧困とは何か。


何のためにお金を稼ぐか。

とても大事なことだと思います。

お金というのは人生のあらゆる要素と切っても切りはなせない関係にあるからです。

逆に、お金を稼がなければどうなるか、ということについてはいかがでしょうか?

当然、貧困、という末路をたどっていくことになります。

しかし、本当の貧困とはなんでしょうか? 

今日はそれについて書いてみたいと思います。




海外に留学した僕の友人が最近、面白いことを言っていました。

世界各国の留学生とグループディスカッションをおこなった際に、

「生きていくために必要な電化製品を3つあげよ」というテーマでディスカッションをしたそうです。


ちなみに皆さんは、どういう電化製品をあげますか?

冷蔵庫? 電子レンジ? 洗濯機? 

だいたいそんなところだと思います。僕もそうです。

日本や欧米諸国など比較的裕福な地域に属する先進国が、こぞって、冷蔵庫や洗濯機といった生活家電を筆頭に電化製品を選んだのにたいして、東南アジアや南米、アフリカなど、いわゆる発展途上国エリア出身の学生は軒並み「携帯電話」「パソコン」を選んだそうです。

確かに、少し海外を放浪してみると、靴もはかずボロボロの家に住んでいるような子供が、携帯電話だけは先進国とかわらない高機能端末を持っていたりするミスギャップに少し驚いたりします。


この違いはどこから来たのでしょうか?


僕はそこにコミュニケーションという概念を感じました。


つまり、冷蔵庫や電子レンジや洗濯機といった物はそもそもコミュニケーションを用いれば自らが所有する必要はない、ということです。

日本人は各家庭に冷蔵庫や洗濯機や電子レンジがあるのが当たり前ですが、これらを自分で所有する理由は何でしょうか?

隙間無くひっきりなしに使っていて余裕がない、自分の食品だけでいっぱいいっぱいというのはあんまりないと思います。

極論、周りに持っている友人がいたら、その人から自分が使うときだけ借りたらそれで事足りる、のではないでしょうか。実際に、シェアハウスなんかだとだいたい複数人住んでいても一個で事足りることが多いです。

ただ、これを実際の生活でやろうとすると相当面倒くさいと思います。様々な人とコミュニケーションが発生するからです。

しかし、言い換えればコミュニケーションさえできれば、逆に自分で所有する必要はないとのことです。

そのコミュニケーションの利便性を最大化するのがいわゆる携帯電話であり、この必要性を身近に感じていた発展途上国エリアの人々が生きていく為に必要な電化製品として携帯電話を最重要視し、逆に先進国が家電を所有することに重きを置いた理由なのではないか、と思ったわけです。

そして僕は、この、そもそも「お金はコミュニケーションが形を変えたもの」という発想は、見落としがちだけど実は大変本質的なことだなぁと最近思うわけです。

もう少し掘り下げて考えてみましょう。



最近、ホリエモンの「ゼロ」という本が発売されました。

ホリエモンというのは僕が敬愛する起業家ですが、

「お金で買えないものはない。」

というこのフレーズだけを都合よく切り取られて、ITバブルで降ってわいた成金主義の代名詞的な存在として扱われたばっかりに、スケープゴートとしてあの事件があったのではないかな、と思ったりします。



「お金で買えないものはない。」

確かに汗水たらしてまじめに働いてもいつまでも貧乏な人間にとって、あまり気持ちのいい言葉ではありません。


かつて、お金で買えないものはない、と豪語していた人間が、執拗なあら探しで犯罪を咎められ反抗むなしく有罪判決を受け、牢獄に放り込まれて、もはや誰の記憶からも忘れ去られたいつの日の年の瀬にどこかさびれた地方都市で、一人寂しく時給700円のレジ打ちのバイトでもしながら、

「やっぱりお金じゃ買えないものもありますね…ハハ…」

などといいながら、半額弁当を買ってとぼとぼとアパートにかえる・・・

そんなホリエモンの姿を見て密かに心の奥底で溜飲を下げる、そういう醜い光景を皆、望んでいたのではないかと思います。


ところが、そんなことは露知らず、実際のホリエモンはロケット事業やら、メルマガやら、出版やら、アプリやら、数えきれないほどの事業を手がけ、心の底から人生を楽しんで生き生きと事業を展開しています。

そこには、元犯罪者前科一犯、一文無し、中年無職といった、マイナスのイメージはまったくありません。


ホリエモンの意見の中で大変素晴らしいな、と思ったのは

「お金とは信用を数値化したものである」、といってお金=信用という本質に触れているところです。

確かにホリエモンは会社から追い出されて、損害賠償やらですっからかんになって、監獄にぶち込まれて、一犯常識的に考えれば結構詰んでる感じですが、

それまでの人生を通じて、信用という目に見えない価値をストックしているから、レジ打ちのバイトなんかしなくて良い訳です。

起業家としての経歴、鋭い着眼点、高い起業マインド、一世を風靡した圧倒的な知名度…

そういう様々な物が積み重なっているから、周りがほっとかないわけです。

「ホリエモンがやりたいことなら、お金出すよ。だってそれは自分にも価値があるもの。」

そういう目に見えない、信用のストックがあるわけですね。



「お金で買えないものはない。」という言葉の上っ面だけを捉えている人には、一生理解できないでしょう。



こうやって考えていくとお金、と信用、そしてコミュニケーションというのは実は密接に結び合っている事に気がつきます。


「コミュニケーション=お金=信用」

そう表現しても過言ではないのでしょうか。

だから、本当の貧困はお金や物がなくなることではありません。

コミュニケーションや信用があれば、それは貧困ではないのです。

ソーシャルネットワークの発達とともにプア充という言葉が生まれてきた背景にはこういった背景もあると思います。


ただ、怖いのはこれらは密接に相関しており、互いに影響を及ぼし合うということです。

お金が投資というものと切って切り離せないように、コミュニケーションも信用も投資的な側面も含むということです。

より良いコミュニケーションを実現するためには相手は人間ですから、当然、時には自分が損を喰う貸し借り的な義理人情が必要です。また信用というのも相手の期待値を上回る経験から積み重なっていくので、相手が求めてる以上の誠意を出さなければ蓄積されていきません。

これらを実現するためには、お金が一定の役割を果たしているのもまた事実です。

お金がなければ、コミュニケーションにかける費用が減ります。交際費にも金がかかりますから。お金がないと相手に不義理な思いをさせて信用を失うこともあるでしょう。

お金が無くなると、無意識的にそういったコミュニケーションや信用を維持するための投資が減っていくのです。

貧すれば鈍すというのは、まさにこのあたりにクリティカルなダメージを与えている、という状態を表すことでしょう

そして、お金が無くなる、コミュニケーションができなくなる、信用がなくなる、そして信用がなくなるから、コミュニケーションができなくる、お金が無くなる、という負のスパイラルに沈殿していきます。


このスパイラルから抜け出すには、どうしたらいいんでしょうね。


長々と書いてきましたが、まぁなんでこんなことを書いているかというと要するに、


取り立ててお金を稼いでいることもなく、かといってそれを埋めるコミュニケーション要素も発生せず、恋愛関係といった一種の信用関係の上に立脚する関係からも離れて、クリスマスイブをひとり黙々と過ごしている自分や皆様はもはや貧困の極みに達しているということです。


つらたん・・・



ゼロ―――なにもない自分に小さなイチを足していく
堀江 貴文
ダイヤモンド社
売り上げランキング: 20