僕はお金の真価にウォール・マリアを見た
26歳の誕生日に旧来のブログの愛読者から新東京いい店やれる店
という本をもらった。
東京にある数多の飲食店から女の子とヤルため目線で飲食店をピックアップして紹介すると何ともゲスい本である。
でもこういうお金の使い方もあるんだ、いやそもそも金とはこういうことに使うべきなのではないのだろうかといろいろ考えさせられた。
僕は企業家であり、そして底辺層だ。
前回の記事でいろいろ僕へのコメントがあったけれど、
僕は従業員から搾取して利益を貪るブラック企業経営者でもなんでもなくて、
立ち上がってもいあない事業の成功のために、底辺も底辺の劣悪な環境まで自らの生活水準を切り詰めてまで挑戦する若者にすぎない。
この本を読んでからいろいろお金について考えるようになった。
有名なコピペにメキシコの漁師というお話がある。
メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。
その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、
「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。すると漁師は
「そんなに長い時間じゃないよ」
と答えた。旅行者が
「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」
と言うと、
漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」
と旅行者が聞くと、漁師は、
「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、
女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。
「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、
きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、
漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。
お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。
その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。
そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。
自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。
その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキソコシティに引っ越し、
ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。
きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」漁師は尋ねた。
「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」
「二〇年、いやおそらく二五年でそこまでいくね」
「それからどうなるの」
「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」
と旅行者はにんまりと笑い、
「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」
「それで?」
「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、
日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、
子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、
夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、
歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」
この話はあながちエリートへの皮肉話というわけではない。
これに近いことが今自分の周りでは急速に進行している。
想像してほしい。
仮にあなたがある日莫大なお金を手に入れたとしてどんな生活を送るだろうか。
底辺ノマドが使ってるようなMacBook Airなんて使いたくもない?
メイドインチャイナの汎用品で0円で売られてるようなiphoneなんて使わない?
FacebookやTwitterのような底辺層がなれ合って時間を潰してる無料サービスなんて使うはずがない?
創業者が底辺層がぶらさがってると言い放つ会社が運営するニコニコ動画なんて見もしない?
著作権を侵害するコンテンツが跋扈するyoutubeや動画サイトを見て、犯罪の片棒を担ぐようなことはしない?
底辺層が入り浸って依存している24時間365日空いてるコンビニエンスストアなんて行きもしない?
底辺層が現実逃避のはけ口として没入して人生を浪費してるようなアニメやマンガなんて見るのもうんざり?
底辺層の便所のらくがきをまとめてる偏向だらけのまとめサイトなんて、見るのも時間の無駄?
底辺層がありがたかってたかる牛丼やラーメンやらなんて食べるのも嫌?
銀座やパリにも店舗を構え、ヒートテックだなんて下着を売ってる底辺層御用達ブランドのユニクロなんて、着るのは恥ずかしい?
たった数十分、数百円でいつでもどこへでも行ける首都圏鉄道網なんかで底辺層と一緒の空間にいたくない?
僕はイエスと言い切れる自信がない
気がついてしまった。
この国では都市圏のインフラにライドしてネットする環境があれば10万円かそこらの生活で全く不満なく生きていけてしまう。
そして健全な若者であれば、これくらいの金を稼ぐことはそんなに辛いことではない。
価値観さえ変えられれば、この国では堕ちていく先は地獄じゃない。
今あなたが当たり前に甘んじているその環境こそがまさにその底辺だ。
それでもじゃあ、お金の価値があるとしたらそれはなんなのかというと「壁」なんだと思う。
そう、「壁」だ。
最近爆発的に人気のあるマンガに「進撃の巨人」というマンガがある。
人間を食らうモンスターと人間との戦いというのは、古今東西使い古されたストーリーであり目新しいものではない。
それでもなぜこの作品が圧倒的に面白い存在かというと、それは「壁」の存在だ。
壁は人々の生活と命を守る防衛線であり、そしてまたその一方で人々の自由を制限し情報を隔離するのもまた壁という存在である。
そういう人類と巨人を分つ最後の境目、ウォール・マリアを巡っての攻防戦、その謎こそがこの作品を圧倒的に面白くしている。
そう、金とは、壁、このウォール・マリアなんだと思う。
例えば、フィットネスクラブは1万円もあれば入れるものもあれば、入会金だけで数百万とるものもある。
この入会金や月会費が高いフィットネスクラブとそうでないフィットネスクラブ違いはなんだろうか?
あるコンサルタントに「会費が高いフィットネスクラブとそうでないクラブの違いって、どこにあるんですか?」と質問したことがある。
そのコンサルタントは、「ロッカーとロッカーの間隔だよ」と即答した。
コーヒーだってそうだ。
マクドナルドのコーヒーと高級ホテルのコーヒー。何十倍も違う値段の差は何か?
これもやはり「席と席の間隔」だ。
フィットネスクラブやコーヒーに存在する何十倍の価値は、ジムのマシンや、コーヒー豆それ自体の価格に起因するものではない。
払える人間と払えない人間、それらを隔てる「壁」に対して価値が生まれる。
そしてその「壁」は同時にコミュニティの壁として人と人を隔てるウォール・マリアとしてそびえ立つ。
こういう「壁」が社会には確実に存在する。そしてこの「壁」の向こう側こそに、真実とチャンスが広がっている。
この「壁」の存在に気がつき、壁の向こう側に行こうとした人間。壁の内側で安寧する人間。
どうしようもない差がこれからの時代に生まれてくる。
一方で人間は一旦知ってしまえば、知らなかった時には戻れない。
食べ物にせよ、服にせよ、家にせよ、お酒にせよ、
別に知らなくても生きてはいける。でも知ってしまえば、それなしの人生など耐え難くなる。
知識や経験は人生に悲しみももたらす。
より多くを、より良きものを、よりスリリングなことを知ってしまったがために、当たり前の日常に感動できなくなる。
それでも、知らない平穏よりも知る悲しみのある人生の方がずっとずっとマシだ。
そのために乗り越えていかないといけない「壁」が僕たちの前には確実に存在する。
ねぇ、エレン…答えてくれ、「壁」から一歩外に出ればそこは地獄の世界なのに
どうしてエレンは外の世界に行きたいと思ったの?
……どうしてだって…?……そんなの………………決まってんだろ…
オレが!! この世に生まれたからだ!!
駆逐してやる!! この世から・・・一匹・・・残らず!!
女型の巨人「今日はおいしかったぁ ほんとごちそうさまぁ☆おいしいお店だったねぇ☆ あ、ごっめーん 明日ぁ、朝早いから今日はもう帰らないと行けないんだぁ☆ じゃあね〜」
エレーーーーーーーン!!!!!!