『不格好経営』という絶望。
不格好経営―チームDeNAの挑戦
という本の「良い本だった」とか「面白かった」などとやたらfacebookのフィードに流れてきてて、amazonでもレビューの評価が高かったので興味を持っていたが、どうせ誰かミーハーなヤツが買うかそうでなければブックオフの100円コーナーに並ぶだろとか思ってたら、案の定誰かが買ってオフィスの本棚においてあったので、ラッキーと思って読んでみた。
新潟の片田舎から、厳粛な親の反対を押し切って単身東京の女子大に進学し、女性の社会進出自体が未だ珍しい時代に、マッキンゼーという泣く子も黙る世界最強のコンサルタント企業に就職し、そこでパートナーまで上り詰め、挙げ句の果てには自ら事業を興し、野球球団を傘下に抱えるような押しも押されぬ東証一部上場の超大企業までたった数年で育て上げた稀代の企業家、南場智子。その南場智子という1人の人間が見た光景とは果たして一体何だったのか。
平野レミと若干キャラがかぶっている破天荒なキャラからは想像もつかない学生時代の生い立ちや、コンサルタントの頭でっかちここに極まれりといった創業初期のお間抜けエピソードなどが、モバゲのメインユーザー層を想定してか、ご親切にも我々にも読みやすいこなれた文体で赤裸々に綴られており時間を忘れて読む事ができた。
でも、賞賛コメントが多い中この評価を言うのは気が引けるけれど、「糞本」だと思う。
はっきり言ってこれを読んで「経営者かくあるべし」みたいな感想を持ってる人がいるとしたら、もうその人はどうかしてるとしか思えない。
まず本のタイトルが、ひどい。
『不格好経営』だ。
繰り返しになるが、マッキンゼーという泣く子も黙る世界最強の外資コンサルタント企業に就職し、そこでパートナーまで上り詰め、挙げ句の果てには自ら事業を興し、野球球団を傘下に抱えるような押しも押されぬ東証一部上場の超大企業までたった数年で育て上げた稀代の企業家、南場智子。その南場智子という1人の人間が見た光景、経営の一線を退き、自らの生き様や経営を振り返り、その哲学や想いを存分にまとめたはじめての著作、その待望の著作の表題が
「不格好経営」である。
勝ち組が「勝った」という事実を認めずに「大した事じゃない」やら「不格好」と言い放つことで、本来「普通」であったはずの人間は負け組に蹴落とされ、元々負け組だった人間はもはやカテゴライズしようのない訳の分からない汚物として存在自体を無視される事になる。
僕のような汚物の零細企業家はどうやってこの燦然たる事実を直視すればいいんだろうか。
こんな残酷なことを平気で言って退ける面の皮の厚さたるや敬服に値する。
そして、こういう自叙伝につきものというか、読書の大半が期待しているのがいわゆる創業初期の苦労話である。
だが、この苦労話がなんというかもう全然、心に刺さらない。
事業プランはアメリカのebayのタイムマシン経営。
創業当初から無く子も黙るマッキンゼーの社員が数人いて、
天下の大企業のソニーの社長と電話一本で話せる関係で、
出資者に恵まれて5000万やら1億円やらかがポンと出てくるわ、
あ、やっべー資金繰りショートするわテヘペロって言って個人の口座からポンと一千万円でてくるわ、
天才エンジニアが次から次へと入ってきて、バイトでこき使われてるわ、
もう始まり方から桁違いスペックの会社である。
もちろん、システムが予定通りできなかったり、オフィスに寝泊まりしたりと業務に忙殺される当時の大変さを偲ばせるエピソードはあるけれども、
でもそれでも、皆でダイエット競争で誰が一番やせるか競争だーハハハ みたいな感じで、なんか困難がすべて安全圏上で展開されていて、そこに死期せまる悲壮感はない。
例えて言うなら進学校の学生らが学園祭で、教師の圧力をはねのけ昼夜試行錯誤を繰り返して俺たちで今までにない最高の飲食店の出店を成功させてやったぜ!最高にクールだろ!ついでにしっかり大学も受かったぜ!HAHAHA的なもので、そこには進学校を横目に見ながら、幼子片手に昼夜屋台を引いて死にものぐるいで人生を生き抜いたような悲壮感あふれる人間像はない。
起業とは業を起こすとかく。ここの業とはいわゆる生業の業である。文字通り生きられなければ死ぬ、その覚悟で戦っている企業家もいる。
少なくとも、会社の創業者は少なからずそういう想いをどこかしら持っているだろう。そういう人間の言葉はやっぱり、心を打つし、言葉ひとつひとつに覇気迫るものがある。
もちろん苦労するのが全て善というわけではないけれど、やっぱりこれが苦労でござい、と言ってだいそれた苦労話を出されたらなんだかモヤモヤする企業家も多いのではないのだろうか。
そして、この本からは恐ろしいくらいにこの会社のユーザーに対する想いが伝わって来ない。
数千万人以上のユーザーを擁し、売上げ2000億 営業利益800億近くを稼ぎだす、
その化け物企業のトップが数千万人のユーザーに対する想いとはいかなるものなのか。
何を社会に届けたくて、南場智子という人間は安定したポジションを投げ打ってまで、この会社を立ち上げたか。
その答えはこの本からは一分も伝わって来ない。
それも無理もない。我々がDeNAと聞いて想起する、そして同社の稼ぎ頭であるモバゲーは、彼女が手がけたビジネスではない。守安氏と川崎氏だ。
それどころか彼女はこのビジネスの成功について疑問を抱いている。実際にそのような描写が著書に出てくる。
そもそも南場智子という人間は同社の手がけるサービスのユーザー層とは恐ろしいくらい対局の位置にいる人間だ。
高校を卒業し、適当に見つけた仕事で適当に日々を過ごし、ユニクロに身を包み、マクドナルドで腹を満たし、週末はワンボックスカーでジャスコに乗り付けては家との往復を繰り返すような何の刺激もない人生を過ごす、日本の地方ロードサイドの住人
方や感性豊かな学生時代に上京し、花の都東京で学び、異文化あふれる海外の大学で切磋琢磨をし、男だらけの実力社会に混じって、世界各国のエリートコンサルタントや、百戦錬磨の経営者相手に渡り歩きパートナーまで上り詰めた新進気鋭の外資コンサルタント。
多分、普通に人生を生きていたら決して同じ空気を吸う事もないだろう。彼女らの間にはあまりにも価値観が違いすぎる。
自分の手がけるプロダクトであるからこそ、どっぷりやっているだろうけれど、
仮にDeNAという道を歩まなかった彼女が、同社の手がけるプロダクトをやっている姿なんて想像もつかない。
もし外資コンサルが「あーっ!!盗まれてるー!!」(古い)とか言い始めて携帯電話開いてたら即刻契約解除すると思う。
結局よくもわるくもこのDeNAという会社は「プロジェクト」なんだと思う。
ここは、ビジネスを試す実験場。日本を代表する超高学歴集団の机上の空論が、数字になって姿を表す、壮大なビジネスの実験場。
もし、この『不格好経営』という本を手に取って読む機会があるなら、ぜひ一緒にこの本も読んで欲しい。
ブックオフに行けば100円コーナーに転がっている。不格好経営が100円コーナーに並んだときに合わせて買えば安上がりですむだろう。
かつて人材派遣業界で一世を風靡したグッドウィルグループの会長そして、日本経団連の理事を勤めたこともある折口雅博氏が記した、自叙伝である。
ちなみにグッドウィルは、数々の法律違反を繰り返し行政処分を受け、廃業・瓦解した。
時代の寵児として世に生まれ、一世を風靡し、そしてまた、時代のあだ花として散った企業としてこれ以上にわかりやすい企業はないだろう。
今となってはこの表題がむなしくブックオフに並ぶだけである。
何がプロ経営者だ、くだらねーと鼻で笑うのは簡単だ。
しかしながらこの本は本当に学ぶことが多い。
本質的なニーズを見抜き、そしてまた時代の先を読み、ジュリアナ東京、六本木ヴェルファーレ、そしてグッドウィル、コムスンと、ひとつの時代を代表するサービスを世に創出した背景にある「センターピン理論」は起業家・サラリーマン問わず、ビジネスに携わる者すべてが知っておくべきビジネスの神髄であると思うし、
父の事業失敗から、極貧生活を余儀なくされ、高校進学も諦め、自衛隊関係の学校に進学し、厳しい訓練の傍ら猛勉強を行い防衛大学に進学。
周囲の反対を押し切り、卒業後商社に就職し、ジュリアナ東京という一大ムーブメントを作り上げるも、パートナーに裏切られ数千万円もの借金を抱える。それにも関わらず不屈の精神で、グッドウィルやらコムスンやらを傘下に抱える東証一部上場企業を創出させあげくのはてには日本経団連の理事まで上り詰める、稀代の立身出世物語として、日本でこれ以上のエピソードはないだろう。
「私はかっこわるくてもいいと思うのです、表面的なかっこよさやプライドなんて、いらないと思うのです。自分の中に真のプライドさえあれば、そのときはかっこわるくても、プライドが傷つけられても、土下座するようなことがあったとしても「いつかは絶対にやるべきことをやるのだ」とはっきり宣言できる人が、私はかっこいいと思うのです。」
自らの経営を振り返ったときにある経営者はそう述べ、その著作に「プロ経営者の条件」と名付けた。
そしてまたある経営者は自らの経営を「不格好経営」と称した。
同じ時代に生きたある経営者は自らを不格好経営と称し、そしてまたある経営者は自らをプロ経営者と称したという事実は本当に興味深い。
会社の経営は本当に難しい。
飛ぶ鳥を落とす勢いの企業も一歩間違えばあっという間に瓦解して崩壊する。それは歴史が証明している。
DeNAと血みどろの争いを繰り広げたかの時代の寵児グリーですらその行く先には暗雲がたちこめている。
DeNAもこの先どうなるかは誰にもわからない。
会社には二つの種類の会社がある。
挑戦する会社と挑戦しない会社。
挑戦しない会社は、安定した利益と引き換えに急成長はしない。
一方、大成功を収めた企業の多くは、かなりのレバレッジをかけて勝負に挑んだ。
そしてこの大勝負に出た企業の多くは残念ながら失敗する。しかし、その中で生き残った企業が急成長をし大勝する。
大勝負にでて9割が失敗して、1割が生き残ったとしたら、9割の経営者は無能扱いされる。
一方で、1割は天才経営者として英雄になる。
挑戦せず、堅実で安定して生き残っていく会社とどちらのほうがクールなのかは、確実な答えはない。
勝負に負けた人の語った哲学は、受け入れられない哲学となり、
勝者が語った哲学は、大衆に受け入れられる。
そして、挑戦をしなかった人間が英雄になることは決してない。
DeNAはとてもすごい会社。
そこらにある汚物みたいな会社と違って、キラキラ輝いていて、キラ星のような人材が吸い寄せられ、恐ろしい勢いで仕事をしている。
お金じゃない何かに価値を見出し、共通の目的を持った集団、というのは尋常じゃないくらい強い。
でもその見ているものが、「プロジェクト」だとしたら、そこで実験ができなくなり、刺激を感じられなくなったサイエンティストは、急速に関心を失い、同じように恐ろしいほどの勢いで離れていくだろう。
そのときに「不格好経営」はどのような姿を表すのだろうか。
いろいろ考えさせられるものがある。
PS.
「チームDeNAの挑戦」とかって副題に書いてあるけれど、そんな大それた副題にしないで、もうストレートに「守安と川崎の挑戦」あたりにしておいた方がよりわかりやすく伝わっていいと思う。