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ミニマリストってようはプライドだけはやたら高い貧乏人のことでしょ??

インターネッツの流行に取り残されないようにしなければ>< とはてなブックマークのホットエントリには目を通しているのですが、最近ミニマリストというキーワードがとても頻出していたので気になっていろいろ記事を見てみました。

なぜこんなに炎上しているのかはよくわかりませんが、ミニマリスト、つまるところ名前からして限りなくモノをオウンドするという生き方から離れてモノを持たない生き方というのは、僕は率直にとても良い生き方であると思っています。





以前に何回かブログで書いていたのですが、時代的な背景としても、物を所有するという行為が必然的にだんだん希薄化していることを強く感じます。

tokunoriben.hatenablog.com

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例えばこの写真なんかを見てもらえばわかるんですが、今まではあれもこれもと思っていたものが、iphoneがあればだいたいそれ以上のものが必要なくなってしまうわけです。日本であれば、iphoneは月額ゼロ円とかで投げ売りされたりで、そう高い買い物でもないので、資産何千億円の超富裕層から、はてなや2chでマクドナルドや牛丼が100円値上げしただの値下げしただので大騒ぎしている底辺の貧乏人までおんなじ製品を指でいじくりまわして人生を過ごしてるわけです。本当にすごい時代ですよね。


また、日本には従来より清貧というような質素堅実をよしとする文化があります。

侘び寂びに代表されるような「あわれ」な佇まいを伴ったシンプル物品や生き方は多くの日本人の心を打ってきました。

必要最小限の本質にだけ価値をしぼったミニマリストが受け入れられるのはこれは必然的な流れであるともといえます。

ビジネスの領域においても、起業家のミニマリズム、いわゆる質素堅実、ストイックな生き方が賛美される節はあります。

例えば、ウォーレン・バフェットという著名な投資家・事業家は6兆円とか世界長者番付何位とかのそれくらいのわけわかんない資産を持っているにもかかわらず、60年前に買った自宅に住み、コーラとかハンバーガーとかをパクついたりするような底辺みたいな生活をしています。

少なからず自分自身でリスクをとって会社を立ち上げて見事に成功し、一生食うに困らない資産を手に入れて、絵に書いたような成金のように、プライベートジェットを乗り回して、よい服や高級外車を何十台も所有して、高級マンションに住んで、良い女を侍らかせて、そんな選択肢を取りうることも可能な中で、あえて事業、そしてそれを通じて提供できる社会貢献にストイックに向き合う姿勢は大変素晴らしく同じ事業を興す立場の者としては大変かっこいい生き方であるなぁと思います。

ただ、それは単にビジネス上での結果を出して富も名誉も手に入れた人間が、やるから価値のある生き方であって、なにも結果を出してない人間が表面的に真似してそのような生き方をしたところで、当たり前ですがただの落伍者の負け惜しみでしかありません。


ミニマリスト、というのも同じ類のものではないでしょうか。

本当にモノがないことの真価を理解できるのは、あらゆるモノの欲望にまみれた生活を経験した人間でしかわかりません。いくらでもモノが手に入り囲まれた生活を経てからこそ究極にモノがない生活の真価がわかるというものです。

先ほどのウォーレン・バフェットだってそうでしょう。ボロ屋に住んでマックを食ってる底辺乙wwといったところで、彼はそれを必死になって否定するでしょうか? きっとそうだね。とニコニコして受け流しているだけだと思います。自分が限られた選択肢の中から主体的に選んだ生き方を否定されたところで、なにも傷つくことや後ろめたいことはないからです。それば間違ってるのだと思えば、もう片方の生き方をすれば良いだけですから。


それをミニマリストwwwだの言われてプライドを傷つかせて顔を真っ赤にして必死になっている時点でお里が知れるというものです。

なのでミニマリストが云々とかいう必死になって炎上している記事を見てると、自分が手に届かないところのぶどうを見ては、「どうせこんなぶどうはすっぱくてまずいに決まってる。食べるだけ人生の無駄。」と勝利宣言をして立ち去る狐のごとく

社会から落ちこぼれた社会不適合者・貧乏人が「どうせモノがある生活は、生きづらくて辛いだけだろう。モノがある人生は無駄。」と勝利宣言をしている姿と見事に一致して、ああ、まるで心理学の教科書の第一章に出てくるような「酸っぱいブドウ」のお手本テンプレートみたいな事例だなぁ、としみじみと思うわけです。


ぶどうをいつでも食べれる状態、何度もぶどうを食べた上で、あえてぶどうを食べないという選択肢を主体的にとるのと、そもそも食べたくてもぶどうが食べれない状態、今まで一度もぶどうを食べたことがない上で、ぶどうを食べないという選択をとるのとでは、結果の事象としては同じでもそのプロセスにより得られる意味は全然違うものだと思います。

その燦然と輝く真実から目をそらし、参入障壁ゼロで手っ取り早く自己カテゴリの承認欲求を満たしたいだけの社会不適合者の貧乏人と、所有の有無という明らかに見下しやすいカテゴリを見つけた、これまたはてなの50歩100歩の底辺層同士でバカにしあって骨肉の争いを繰り広げている様はつくづくあわれよなぁ・・・と惨めなきもちでいっぱいになります。

どんな生き方であれ、人生は一度きりですからより良い人生を生きたいものですね。



ぼくたちに、もうモノは必要ない。 - 断捨離からミニマリストへ -
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